マニラのeそよ風

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第426号 2013/10/19 カルカンタラの聖ペトロの祝日



アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 ご無沙汰しております。いかがお過ごしでいらっしゃいますか?

 今年の8月は、アジア管区長のクチュール神父様の特別の許可で、私はアジア管区代表として、ポーランドのチェンストホーバに、ポーランドの聖ピオ十世会の巡礼団と一緒に巡礼をして参りました。ポーランドの聖ピオ十世会は8月4日からワルシャワを発って歩き始めたのですが、私は10日にこれと合流し、チェンストホーバまで野宿をしながら歩きました。私たち巡礼団は、たとえ時間が掛かっても、少し遠回りになっても森の中や畑の中を通って歩いたので、自然に恵まれとてもすばらしい巡礼でした。空の百万の美しい星の下でずっとテントで寝起きした巡礼者には感服します。私の場合、田舎の農家の方々が、ご自分の家のソファの上に寝泊まりすることを許してくださり、その点ではだいぶ助かりました。

 この巡礼に呼んでくださった聖母マリア様に感謝します。私たちは8月14日の午前中にチェンストホーバの教会に到着しました。ポーランド語で「明るい山」という意味のヤスナ・グラに立つ聖母マリア様の教会はすばらしく立派で美しく、教会へと至る大きなまっすぐの大通りを巡礼団が各々の旗を掲げてロザリオを唱えながら行列するときには、天国に入場するかのようでした。8月15日に合わせて、ポーランドの各地から人々が歩いてきて約二百万人が集うそうです。

 聖母の教会に入るのも、順番を待って待たなければなりませんでした。お祈りをしながら待ち、ようやく入堂が許され、聖母マリア様の元に行き、そのお姿を見たときにはあたかも天国にいるかのようでした。聖ピオ十世会からは、170余名の方々が参加しました。今回の巡礼をきっかけにポーランドについて知り、ポーランドのすばらしさを垣間見ることが出来、天主様に感謝します。

 チェンストホーバのヤスナ・グラ修道院にある聖母マリア様の御影(ごえい)は、聖ルカによって描かれたともいわれており、聖ヘレナがこれを見つけて聖地から持ち帰り、コンスタンチノープルに安置されていたとも伝えられています。803年、この御影はルーシ人貴族と結婚したギリシアの王女への結婚の贈り物として与えられ、ウクライナのベルツの王宮におかれていたと言われています。

 966年4月14日、復活の徹夜祭にて、ポーランド王ミェシュコ一世がその妻と宮廷と一緒に、カトリックの洗礼を受けポーランドをカトリック国家とします。これがポーランドの洗礼とされます。

 ヤスナ・グラ修道院は、1382年に聖パウロ隠遁士修道会の修道院としてチェンストホーバ(Częstochowa)に創建されました。 聖母のイコンは、オポーレ公ヴワディスワフ(Władysław Opolczyk)によって、1386年にここに安置されたそうです。

 1430年、フス派の異端者らが修道院を攻撃し、聖母の顔を剣で傷つけました。イコンはクラクフで修理を受けましたが、その傷は修復することができず、今でも残っています。

 1655年、プロテスタントのスウェーデン軍がポーランドを侵略しました。ポーランドは、ワルシャワやクラクフさえも占領されました。1655年11月18日、チェンストホーバを侵略しようとするスウェーデンは、ヤスナグラの城壁にたどり着き、即時の降伏を要求します。修道院を守るポーランド軍は、170名の兵士と、20名の士官、70名の修道士しかおらず、それに対してスウェーデン軍は3000余名の軍隊でした。しかし、聖母マリア様がストップをかけました。ポーランド軍の軍人たちがこのイコンの前で熱心に祈って戦うと、敵軍の攻勢に屈せず、40日後、スウェーデン軍は撤退しました。1656年4月1日、ポーランド王ヤン二世(King John II Casimir Vasa)はチェンストホーバの聖母をポーランドの元后と宣言しました。

 1717年には、教皇クレメンテ十一世がこのイコンの奇跡的性格を公式に承認しています。1925年、教皇ピオ十一世は5月3日をその祝日としました。

 1920年、ソヴィエトの赤軍がヴィスワ川に結集し、ワルシャワを攻撃しようと準備しているとき、ポーランドの司教たちは、7月27日にヤスナ・グラに集い聖母マリアへの奉献を再更新しました。市民と軍人たちはチェンストホーバの聖母に熱心に祈りを捧げました。8月15日、マリア様はワルシャワ上空の雲の上に現れ、ロシア軍は戦いで負け、撤退しています(ヴィスワ川の奇跡)。

 ナチスの占領時代には、ヒトラーがヤスナ・グラへの巡礼を禁止したにもかかわらず、多くが秘密に巡礼を決行し、1946年9月8日には、150万人がチェンストホーバに集まって、ワルシャワのアウグスト・ホロント(August Hlond)枢機卿が全ポーランドを聖母の汚れなき御心に奉献しました。

 ポーランドが洗礼1000年を祝うときには(966 – 1966)、ポーランドでは1957年から1966年まで9年間の準備のノベナ(祈りと断食)を行いました!1966年5月3日、ヴィシンスキー枢機卿はヤスナグラの至聖所で「ポーランドを天主の御母に奉献する祈り Milenijny Akt oddania Polski w macierzyńską niewolę Maryi, Matki Kościoła (Jasna Góra, 3.V.1966)」を唱えました。


 今回、ポーランドの良き多くの友人と知り合うことができました。ポーランドで働いておられる司祭や修道士の方々、また、ポーランド以外のドイツ、チェコ、ベルギー、フランスなどの巡礼者とも巡り会えて感謝します。


 シュテーリン神父様のお計らいで、予想もしていなかった、コルベ神父様の創立したニエポカラヌフを訪問するお恵みをいただき汚れなき聖母マリア様、インマクラータに感謝します。ニエポカラヌフに行くまで車の中でシュテーリン神父様が東欧での使徒職のいろいろなお話をしてくださり、インマクラータがいかに宣教を祝福してくださったかを教えてくださいました。聖母の騎士会は特定な人々の育成を目的とする信心会ではありません。マキシミリアノ神父はこう述べています。

 「騎士会は群衆を動かして、群衆を悪魔の手から奪い返し、聖母に捧げられたものとし、汚れ無き聖母を通じて天主の御国の拡張のために英雄的な自己放棄の頂上にまで至らせるのである。騎士会にはあらゆる修道会、信心会、施設が参加することが出来る。騎士会に属すると言うことは、各メンバーに出来るだけ使徒活動に従属することを可能にする。このようにして、めいめいの身分、職業においてキリスト教的完徳が完成されていく。」

 「愛する兄弟たちよ、聖母に信頼しましょう。聖母がましますことを信じましょう。聖母の光栄を表すことが必要であると信じましょう。聖母が私たちをご覧になり、私たちの願いを聞き入れ給うことを信じましょう。また、私たちは彼女のものとして、全く彼女に依存していることも、信じましょう。イエズス・キリストは人間として、天の御父の御もとにおける私たちの仲介者です。聖母マリアは、私たちとイエズス・キリストとの間に立つ仲介者であり、全ての聖寵は彼女を通して下るのです。聖母はイエズス・キリストによって仲介者と定められました。私たちはそれを堅く信じます。私たちは、聖母から聖寵を受け、聖母は私たちをイエズスの至聖なる聖心にお導き下さるのです。私たちの勝利というのは霊魂の救いです。」

 「霊魂の成聖のために働こうと思うものは、まず自分から始めなければなりません。それゆえ、彼は真っ先に汚れ無き聖母と最も親密にならなければなりません。それて彼女から、人生のあらゆる瞬間毎に、より完全に天主の愛に進むことが出来るように、お恵みを受けなければならないのです。最も完全な方法で聖母に近づくものとは、自分の聖母の持ち物として捧げる人です。汚れ無き聖母へのまったき奉献、これが第1のかつ本質的な条件です。」

 マキシミリアノ・コルベが、そのインマクラータ(無原罪の聖母マリア)の騎士に委ねた使命は、全世界をカトリック教会へと回心させることでした。コルベ神父様は、こう言っていました。

 「離教者達とプロテスタントたちが、確信をもってカトリックの信経を宣言するとき、そして全てのユダヤ人たちが自発的に聖なる洗礼の秘蹟を求めるとき、その時始めて、インマクラータ(無原罪の童貞聖母マリア)は、その目的に到達したことになる。」(Rycerz Niepokalanej, 4 1922, p.78. cited from The Immaculata Our Ideal, Fr Karl Stehlin, p. 37)

 「言い換えると、インマクラータ(無原罪の聖母マリア)とその騎士にとって、今日にエキュメニズムよりも大いなる敵はいない。全てのインマクラータの騎士たちは、現代のエキュメニズムに反対して闘うのみならず、これと正反対の行動を通して、それを中和させ、これを究極的に破壊し尽くさなければならない。私たちは、インマクラータの騎士(Militia Immaculatae)の目的を出来るだけ早く達成させなければならない。つまり、現代存在する、そしてこの世の終わりまで存在するあろう全ての霊魂たちが、インマクラータのために、そしてインマクラータを通してイエズスの至聖なる聖心のために、全世界を征服することである。」(1933年4月23日付けのコルベ神父様の日記より)

 「罪人の改心のためには、私たちは聖母マリアを通らなければどのようにしてもすることができない。天主は、その無限の善性によって、全ての聖寵の宝庫として、私たちのためにご自分の御母である聖母マリアを指定し給うた。全ての聖寵は、この世界に、聖母マリアを通してのみ注がれる。私たちは、もちろん天主にこの恵みを祈らなければならないが、必ずインマクラータの取り次ぎを持ってなされなければならない。」(1933年5月30日のコルベ神父様の講話より)

聖コルベの合い言葉は次の通りでした。

Dignare me laudare te, Virgo sacrata!
Da mihi virtutem contra hostes tuos!

聖なる童貞女よ、我をして御身を賛美するを得しめ給え!
御身の敵どもに反対する力を我に与え給え!


《罪なく宿り給いし聖マリアよ、
御身に寄り頼み奉る我らのために祈り給え。
また、御身に寄り頼まぬ全ての人々のため、
ことに、フリーメーソンのため、
また、御身に依頼された人々のために、祈り給え。》

"O Maryjo bez grzechu poczęta, módl się za nami, którzy się do Ciebie uciekamy i za wszystkimi, którzy się do Ciebie nie uciekają, a zwłaszcza za masonami i poleconymi Tobie."


 チェンストホーバの聖母マリア様の地で、他の方々と共に次の奉献文を唱え、また、ニエポカラヌフのコルベ神父様の跪き台でそれを繰り返すことができました。天主様に感謝!

インマクラータへの奉献の祈り

 「ああ、インマクラータ(汚れなき聖母)よ、天と地の元后、罪人の拠り所、我らの愛深き母よ、天主は、あわれみの全秩序を御身に委ねることを望まれ給えり。不肖なる罪人、我(名前)は、御身の足もとにひれ伏し、御身にひれ伏してこいねがい奉る。
我がすべてを全く、御身のもの、御身の所有物として受け取り給え。
また、我について、霊と肉体のすべての能力について、我が全生涯、死、永遠について、御身がよりお望みになることを全て成し給え。

 もしも御心にかなうならば、我が全てを完全に使い給え。そは、御身について言われた「かの女は、おまえの頭を踏みくだく」また「御身は、ひとりで全世界の異端をことごとく滅ぼされた」が実現されるべき御業のためなり。

 我が、 御身のインマクラータの憐れみ深い御手のうちに、ふさわしい道具としてあらしめたまえ。そは、道を迷い、無関心の、かくも多くの霊魂たちに、御身を知る喜びを引き起こさせ、御身の栄光をこれ以上ないほど最高にいや増し、かくてイエズスの至聖なる聖心のいとも甘美なる御国が、最高度に拡張するためなり。

 御身が入り給うところはどこであれ、そこで御身は回心と成聖の聖寵を祈り求め給うなり。そは、御身のみ手を通してイエズスの至聖なる聖心から、全ての聖寵は、我らにたどり着く故なり。

R 聖なる童貞女よ、我をして御身を讃えしめ給え。
V 御身の敵に立ち向かう力を我に与え給え。」

Akt poświęcenia się Niepokalanej

O Niepokalana, nieba i ziemi Królowo, Ucieczko grzesznych i Matko nasza najmiłościwsza, Ty, której Bóg cały porządek miłosierdzia powierzyć raczył, ja, niegodny grzesznik, rzucam się do stóp Twoich, kornie błagając, abyś mnie całego i zupełnie za rzecz i własność Swoją przyjąć raczyła i uczyniła ze mną, wraz ze wszystkimi władzami mej duszy i ciała, i z całym mym życiem, śmiercią i wiecznością, cokolwiek Ci się podoba.

Użyj także, jeżeli zechcesz, mnie całego, bez żadnego zastrzeżenia, do dokonania tego, co o Tobie powiedziano: "Ona zetrze głowę twoją", jako też: "Wszystkie herezje samaś zniszczyła na całym świecie", abym w Twoich niepokalanych i najmiłościwszych rękach stał się użytecznym narzędziem do zaszczepienia i jak najsilniejszego wzrostu Twej chwały w tylu zbłąkanych i obojętnych duszach, a w ten sposób do jak największego rozszerzenia błogiego Królestwa Najświętszego Serca Jezusowego; albowiem gdzie Ty wejdziesz, tam łaskę nawrócenia i uświęcenia wypraszasz, przez Twoje bowiem ręce wszelkie łaski z Najsłodszego Serca Jezusowego na nas spływają.

Dozwól mi chwalić Cię, Panno Przenajświętrza. Daj mi moc przeciw nieprzyjaciołom Twoim.


 天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)