マニラのeそよ風

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第421号 2012/07/11 教皇殉教者聖ピオ一世の記念

St. Pius I, Pope and Martyr
St. Pius I, Pope and Martyr


アヴェ・マリア!

 愛する兄弟姉妹の皆様、
 いかがお過ごしでいらっしゃいますか? 7月9日から始まった聖ピオ十世会の総会のためにお祈りをつづけてお願いいたします。

 今から25年前の1987年に、天主のお恵みにより、フランスのフラヴィニーにある聖ピオ十世会の神学校に入学することを許されてから、聖ピオ十世会の総会は少なくとも2回(1994年と2006年)ありました。私が神学校に入学した年は、ルフェーブル大司教様が司教聖別をするべきかすべきではないかという議論がたくさんなされていた年でもありました。その時でさえ、今年の総会のように、総会を近く感じたことはありませんでした。

 総会のために、あたかも総会に参加しなければならない一人であるかのように、身に染みて祈ったことは今回が初めてでした。自分は、現在のカトリック教会の危機において、聖ピオ十世会において何が出来るのか、どうするべきなのか、何が天主の御旨なのか、を祈り求める機会でした。

 教皇様は、教義を外交的な曖昧な表現でぼかして宣言にサインし、ローマと聖ピオ十世会とが同意にいたり、聖ピオ十世会が「正常化」することを求めています。しかし、外交的な曖昧な表現でぼかしてまでして、宣言にサインし、聖ピオ十世会が「正常化」するべきなのか? 私たち聖ピオ十世会がカトリックとして当然持っている権利をローマが認めるために、過去の歴代の教皇様たちの教えと矛盾する第二バチカン公会議を「聖伝の光のもとに受け入れる」という、ルフェーブル大司教様が後に後悔した表現をもう一度飲み込むべきなのか? それが天主の御旨なのか?と。それとも、踏み絵を踏むとか、ほんのちょっとの政治的なジェスチャーをすれば助かったのにそれをすることを拒み、信仰を宣言して殉教していった先祖に倣うのが天主の御旨なのか?

 私たちが、もしも、外交的な曖昧な表現で教義上の宣言をすることを拒むなら、つまり、ローマとの同意を拒むなら、聖ピオ十世会は「離教的」だ、「破門」だ、「聖座空位主義」だ、と言われることでしょう。しかし、それを恐れて、ギリギリの線まで譲歩して、外交的な曖昧な教義上の宣言をして、たとえ聖ピオ十世会が「属人区」になり、「公認」され、ローマからのお墨付きをもらったとしても、例えば、聖伝のレデンプトール会がローマの公認後今でもそうであるように、地元の司教からは聖ピオ十世会は決して公認されないのではないか? 聖ピオ十世会が第二バチカン公会議を全て受け入れない限り、つまり、エキュメニズムと、人間の良心の尊厳に基づく信教の自由と、司教団体主義と、アシジの集会と、新しいミサと、その他諸々の公会議後の改革を受け入れない限り、聖ピオ十世会はいつまでたっても「完全な交わりにはない」と言われ続けるのはあまりにも見え見えではないか?と。

 私たちがルフェーブル大司教様から教えて頂いた、永遠のローマに対する愛情深い執着ゆえにこそ、バチカンの偉い地位に就きながら異端を恥じずに発言している枢機卿たちから受ける「破門」などの制裁が、スズメを脅す「カカシ」のようにしか思えなくなってしまったのではなかったか? アシジの集会を発明した教皇からの「破門」とは、一体何だったのか? アシジの集会を発明した教皇を福者として列福した教皇様が、もしも私たちを「破門」するとしたら、それは一体何なのか? 他の宗教と手を結び、聖伝を「破門」するとしたら、それは一体何なのか? それとも、アシジの集会も「聖伝の光のもとに受け入れる」べきなのか? それとも、「私たちは、心の底から全霊を上げてカトリックのローマに、すなわちカトリック信仰の保護者でありこの信仰を維持するために必要な聖伝の保護者である永遠のローマ、知恵と真理の師であるローマによりすがる。」と言いつつ同時に「私たちは、しかしながら、第二バチカン公会議とそれに由来して公会議後の全ての改革において明らかに現れた公会議新近代主義と新プロテスタント主義の傾向を持つローマに従うのを拒否し、常に拒否した」と言い続けるべきではないか?と。


 聖ピオ十世会も、ついには、第二バチカン公会議について何も言うことが出来なくなってしまった聖ペトロ会、カンポス、レデンプトール会、良き牧者会のようになってしまうのではないか? ラッツィンガー枢機卿時代から言われていた、典礼の「改革の改革」に協力してほしいと言われたら、私たちはそれを受け入れるのか?

 私にとって、今回の総会は、ルフェーブル大司教様が過去に私たちにおしえて下さろうとしたこと、伝えて下さろうとしたことを、改めて見直す機会でした。第二バチカン公会議について、カトリックの聖伝について、ベネディクト十六世の言う、第二バチカン公会議の「刷新と改革による解釈法」について、そして聖ピオ十世会について、改めて深く知り、考えることが出来る機会でした。

 エコンでの司祭叙階の前に、故濱尾枢機卿(当時は司教)から聖ペトロ会に入るように誘いの手紙を受けたことも思い出します。しかし、私は歴代の教皇様の教える聖伝か、第二バチカン公会議の新しい教えかのどちらかを選ばなければならないこと、そして、自分は歴代の教皇様の教える聖伝を選ぶことを御返事したことも思い出しました。


 外国では、聖ピオ十世会の修道院があり、聖ピオ十世会の司祭たちもたくさん活躍しており、聖ピオ十世会とローマに関する様々な情報が外国語では容易に入手できることだと思います。しかし、日本語での資料や情報は大変限られてしまっています。しかし私の見る限り、論点の中核は、ルフェーブル大司教様が命をかけて伝えて下さろうとしたことを再確認することのように思えます。

 愛する兄弟姉妹の皆様は、カトリックの聖伝を選びました。そして、私たちがカトリックの聖伝の信仰を選び続けるために、今回の総会や、ローマとの同意に関する動きは、私たちにとってその信仰の再確認の機会となったと思っています。

 そこで、今回は、司教聖別に選別された四人の司教への手紙(1988年6月12日と1988年6月13日) 及び 1988年6月30日エコン (スイス) 司教聖別式にてルフェーブル大司教がされた御説教 を黙想することを提案します。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
聖母の汚れなき御心よ、我らのために祈り給え!
聖ピオ十世、我らのために祈り給え!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)





Archbishop Marcel Lefebvre


外国語サイト リンク Episcopal Consecrations:
Letter to the Four Bishops Elect (June 12, 1988)

司教聖別に選別された四人の司教への手紙


一九八八年六月十二日

 終わりです。ローマと私たちとの話し合いは終わりです。それについて考えれば考えるほど、ローマの意向が正しくないということがわかります。聖伝の指導者たちに起きたことをご覧なさい。オギュスタン神父(Dom Augustin)、ド・ブリニエール(de Blignieres)神父、彼らはローマに行き、取り込まれてしまいました。ローマは、私たちには聖伝のおこぼれしか残さず、全てを第二ヴァチカン公会議の方へと追いやることを望んでいるのです。

 デ・サヴェンゼム de Saventhem[保守(非聖伝)団体 "ウナ・ヴォーチェ" の当時の委員長]は、『我々は依然として、理解しあえる』と言いますが、『わずかな事柄でも理解されないと言うことは、些細なことではない』と私は答えます。彼らは自分の主張を変えていません。このような人々に自分たちを委ねることはできません。そんなことをすれば、自分たちを欺くことになるでしょう。自分たちが食べられてしまうままにさせるつもりは、私たちにはありません。

 聖伝のベネディクト会修院長、ジェラール神父(Dom Gerard)は『ローマとの合意は、私たちに、使徒職の広大な領域の門戸を開いてくれるだろう』と言いました。しかし、曖昧さの世界の中で、 同時に二つの方向に向かうならば、恐らく、最後には私たちの方が駄目になってしまうでしょう。彼らはこう主張します。『しかし、あなたがローマと一緒なら、もっとたくさんの召命があるだろう』。ですが、その様な召命とは、あなた方がローマに反対する言葉を一言でも口にするなら、このような[公会議の精神を受け入れている]召命の持ち主が、私たちの神学校で生活することは不可能でしょう! それを基礎にローマとの『合意に至った』ならば、教区の司教たちは『さあ、一緒に教区に来て、加わりなさい』と言い、そして少しずつ、聖伝は妥協させられていくでしょう。

 フランスの聖伝の修道女たちは、揃って合意に反対しています。彼女たちは『私たちはラッツィンガー枢機卿に従属したくありません。あの方が私たちのところに来て講話をするなら、と想像してみて下さい! あの方は私たちをまっぷたつに引き裂いてしまうでしょう!』と言うのです。

 司教聖別が行われた場合、私たちの数名の司祭たちの離反の危険に関しては、司祭たちと神学生たちの集団が、一斉にエコンを出て行った一九七七年の時よりも悪くはならないでしょう。彼らは全員ローマに行ってしまい、あるいは、散り散りになってしまいました。このローマに対して敢然と立ち向かうため、第二の決断を取る時が来ています。私たちにできることが他に何があるというのでしょうか? 今度はもっと厄介なことになる、司教聖別のせいで破門になるかも知れない、と彼らが主張するならば、さて、基本的な問題が変わらないままでいるからだ、と私は答えます。すなわち、ローマは聖伝を絶滅させるつもりですし、教皇空位派の人々に私たちへの愛情などありません。

 あなた方、四人は、五月五日のプロトコール(議定書)に述べられているように、聖ピオ十世会に仕えることで、カトリック教会のために司教になるのです。兄弟会はローマを相手にする立場にあります。時が来れば、ローマと再び話し合いの段取りをつけるでしょう。それは総長の責務になるでしょう。

 あなた方の役割は、叙階と堅振の秘跡を授けること、堅振の時に信仰を固めること、信者の群れを守ることです……。あなた方は兄弟会のために非常に強力な支えとなるのです。例えば、叙階式の依頼が来た時などには、一人一人が出しゃばりすぎず、四人とも、みな一つの心を持つようにして下さい。自分一人でやってくる青年たちを叙階しないように。彼らが修道会の一人であるなら、その修道会をよくよく観察して下さい。

 ローマは公会議後の教会へと私たちを追いやりたがっています…。あなた方は一年に一度、二年ごとに一度、堅信のためにあちこちを廻らなければならないでしょう。叙階に関して、私は現在、一年間に二十五から三十の儀式を司っていますが、六月三十日以降はエコンから動くつもりはありません! 兄弟会に必要な環境を整えることで、私の仕事を成し遂げたことになります。教皇様に申し上げたように、聖伝がローマに戻って来たら、すぐに問題は収束するでしょう。

 いずれ来るであろう破門に関しては、何の意味もないことです。ローマは教会の霊的善のために、気を配ってはいないからです。しかし、私たちを破門にすることはローマにとって不愉快なことなのです。彼らはデ・サヴェンゼム、チェコの司教などなど、正当な手段、もしくは禁じ手を使って、私をやりこめようとしています。カルカッタのマザー・テレサを送り込むことすらしたかったのです。しかしこんな会談は無意味です。昔から全部、議論し尽くしてきたことです。

 誰でもよいですから、エコンの元神学生、カルロの手紙をとにかく読んでみて下さい。彼は保守組織 "マーテル・エクレジエ" に加わろうとしてローマに行き、私たちから神学生たちを離れさせ、彼らを取得しようとしましたが、その時から、ローマの狡猾さに眼を大きく開かせられたのです。この手紙の中で、ローマがカルロたちを無法者のように扱い、スータンを脱ぐよう強制し、どの教区も彼らを受け入れてくれないことを認めています。彼はこのローマがどんなものであるかを知ってしまいました。ローマは兄弟会を、もう一つの "マーテル・エクレジエ" へと変貌させたがっています。最初の"マーテル・エクレジエ" が崩壊すると、ラッツィンガー枢機卿は喜んだのです。

 では、なぜローマは私たちに対して約束を守らなければいけないのでしょうか? 五月五日の合意が無に帰すことを天主がお許しになった時、私たちは守られたのです。

ルフェーブル大司教



Archbishop Marcel Lefebvre


外国語サイト リンク Episcopal Consecrations:
Letter to the Four Bishops Elect (June 13, 1988)

司教聖別に選別された四人の司教への手紙


一九八八年六月十三日

 聖ピオ十世会を代表して、あなた方四人に感謝の意を表します。

 本質的なことが問題になると、ローマはその疑問に決して返答しません。ローマはいつも、彼らが示す方向に、私たちがほんの少しだけ傾かせる宣言を出すよう要求していますが、ローマの側においては、自分たちの基本的な自由主義と近代主義に疑問を差し挟もうとしないのです。今のところ、私はローマの近代主義のことを常に問題提起し続けています。

 六月二日、ローマに手紙を書いた時、話し合いは丁重でしたが、理解し合う時はまだ来ていないと理解させられました。私たちはアシジの精神に対抗するなんらかの防御を持たねばなりません。ローマは絶対に基本的な問題に取り組もうとしません。絶対に! ですから私たちの努力は無駄でした。数々の話し合いにおいて、私たちとローマは意見が食い違っています。こちら側としては、ローマが聖伝に戻ることを期待しています。ローマはというと、頑として動こうとしません。

 教皇様は『こういった話し合いを開くことで、私は一致に向けて関心を示している』とお答え下さいました。このようにして、五月五日の議定書は、第二ヴァチカン公会議を含む二十一のエキュメニカルな公会議に一致した上で、兄弟会が教会内に留まることを許そうとしました。それにも関わらず、私は教皇様のこのご返答に答えねばならないのですが、本来ならば私たちの方こそが、ローマに反近代主義者の誓いを立てること、"ラメンタビリ" と "クァンタ・クラ" を受け入れることを要求しなければならない、ということです。私たちこそがローマに信仰について質問すべきです! しかしローマは答えないでしょう。ただ誤謬を主張し続けるだけです。

 昨日、デ・サヴェンゼムが『あらゆる分裂の責任は、あなた一人にあるのですよ』と言いました。しかし "マーテル・エクレジエ" の全面的失敗に関する、元神学生カルロの手紙をとにかくご覧なさい。彼は『何から何まで間違っていました』と書いています。彼のラッツィンガー枢機卿への嘆願書も見て下さい。カルロは何度も枢機卿閣下に手紙を書きました。でも、なしのつぶてです! 二年もの間、ローマは、カルロら青年たちを笑い物にし続けたのです。彼らは歩調を合わせるよう強制されています。ガロンヌ(Garrone)、インノチェンティ(Innocenti)あるいはラッツィンガー【枢機卿ら】であれ、誰であれ、私たちに対して、まったく同じやり方です……。保守派と公式の教会との間のいかなる戦いにおいても、ローマはいつも公会議支持の司教たちの味方であり、聖伝を断罪しています。

 「デ・サヴェンゼムは『しかし、こういったことは取るに足らないことですよ』と反論します。私は『いくつもの取るに足らないことが、甚大な影響をもたらすのです』と答えます。ローマは私たちのすること全てを第二バチカン公会議の精神に引き寄せようとするつもりなのです。五月五日の議定書によって、すぐに私たちは死んでいたことでしょう。一年も持ちこたえられなかったかも知れません。今のところ、私たちは一致していますが、議定書によれば、ローマと接触を持たざるを得ず、聖ピオ十世会内に分裂をもたらしていたことでしょうし、すべての事が分裂の原因となっていたことでしょう。新しい志願者たちは、私たちがローマとともにあったから私たちの道にたくさん来ていたことでしょうが、このような召命を持つ者たちは、ローマとの不一致──つまりは分裂──を我慢できなかったでしょう。今のところ、彼らの召命は、私たちのところにたどり着く以前に別のところに行っています。

 ローマ側では、ドクルトレ(Decourtray)大司教が、私たちの同僚の一人、ラファルグ(Laffargue)神父に、聖ピオ十世会を出ることを条件に聖伝の教区を提供しています……。ローマは私たちの同僚を引きずり込み、私たちを公会議へと引っ張っていこうとしています……。私たちはというと、注意深くローマと距離を取ることで、兄弟会と聖伝を守っています。私たちは、公式の教会に入り込んで聖伝を守ることができるかどうかを知ろうと、誠実に努力し理解しようとしました。それは不可能なことと分かりました。ローマは、さらに悪くなる以外に頑として動きません。例えばカザロリ枢機卿のモスクワ訪問のようなことです。

 しかしながら、私たちの信徒らは数名の司教が与えられることで狂喜乱舞するでしょう。九十パーセントの人々は深い安堵の息をつくでしょう。

 おお、そうです、ローマは反対しています。でも、五月五日の議定書は私たちに一人の司教を差し出したのです。私たちは決してその司教を受け入れません。ここスイスにおける、シオン教区の私たちの司教は、ラジオやテレビで、私たちが提示したすべての候補者たちをヴァチカンは拒否した、と言いました。ドン・ジェラール(Dom Gerard)、ポゼト(Pozzetto)神父、ラファルグ(Laffargue)神父ならローマは受け入れるかもしれません。しかし、私たちの候補者は、誰を提示してもローマは拒み、拒み、拒み抜くでしょう。デ・サヴェンゼムはというと、まるでローマの一員であるかのように異議を唱えるのです!

 あなた方の役割は秘跡を与え、信仰を説くことになります。あなた方は兄弟会に仕えることになるのです。ローマは、私の背後に兄弟会があったために、私だけを相手取っていました。兄弟会は正当な団体です。聖伝を力強く支えるため、あなた方の間にしっかりと一致を保って下さい。諸々の主要な決定をするのは、総長の意向次第となるでしょう……。

 教皇様の認可なしで司教になるということは、それ自体、離教ではありません。教皇ピオ十二世以降、中国の司教たちのために離教となっただけです。

 ローマは怒り心頭です。デ・サヴェンゼムはラッツィンガー枢機卿のFAX番号を教えてくれました。ローマは霊的エイズに罹ってしまっています。ローマにはもはや天主の恩寵はありません。ローマの免疫システムは停止してしまいました。ローマが信仰を失っていないと言えるのか、私には疑問です。やがて来るはずの制裁に関していうならば、不愉快なことは時とともに少なくなります。謙遜な人々にはわかるでしょう。私たちの行動に反対するのは聖職者です。

 信仰の証人たち、殉教者たちは、常に信仰と権力の狭間で、どちらかを選択せざるを得ませんでした。私たちはジャンヌ・ダルクの試練の時をふたたび生きているのです。ただ、私たちは、数ヶ月間の不愉快なことではなく、二十年もの間、続いてきたことなのです!

ルフェーブル大司教


Archbishop Marcel Lefebvre


外国語サイト リンク Archbishop Lefebvre's sermon for the Episcopal Consecration
at Econe on June 30, 1988

聖ピオ十世会創立者ルフェーブル大司教様の説教
1988年6月30日エコン (スイス) 司教聖別式の説教にて


親愛なるカストロ・マイヤー司教様、
いとも親愛なる友人、そして兄弟の皆様、

 ご覧ください、私たちは間違いなく歴史的な一つの式典の為ここに集っています。何よりも先ず皆様にいくつかのお知らせをさせてください。

 第一のものは皆様を少し驚かせるでしょう、私自身そうだったからです。昨夜、ベルンの教皇大使館から送られ、教皇様からの嘆願書の入った一枚の封筒を持ったある訪問者がやって来ました。教皇様は私が自由に使えるようにと車をよこしたのです、この車は私を昨夜ローマに連れて行くことになっていたようです。それは私が今日この司教聖別を執行する事ができないようにするためでした。私には行かなければならない理由も場所も伝えられませんでした!このような嘆願のタイミングのよさと知恵をどう判断するかは皆様にお任せいたします。

 この一年間、私は幾日も、それどころか数週間もローマに行きました。教皇様は私が来て謁見するように招いてはくださいませんでした。仮にいくつかの合意がなされたなら、彼に謁見することは私にとってきっと喜ばしい事だったでしょう。ですからここで皆様に情報としておしらせします。私は皆様にこの事実を単純にお伝えするだけです。私自身、教皇大使館からの手紙を通して知るに至った様に。

 それでは、この式典に関する幾つかの指示と、その意義にかんする重要な文書について[お話しします]。

 皆様の中でお持ちになっている方もいらっしゃる司教聖別式小冊子に見られる誓いを、司教となる者たちは既に、私の手において立てました。従って、この誓約、さらには近代主義に反対する宣誓、この宣誓は公教会が司教聖別される者達に必ずすることを命じていたそのままのものです、それから信仰宣言は、もはや行われたということになります。彼らはすでにこれらの宣誓と信仰宣言とを、数日間シエールにて行われていた黙想会の後で私の手の元で済ましています。ですから、この司教聖別式が、信仰に関する審問、つまりカトリック教会が司教に聖別されるべき人々に尋ねる信仰審問の儀式から始まることになりますが、驚かないようにして下さい。

 さらに皆様に知っておいて欲しいことは、聖別式の後、皆様が司教様たちの祝福とその指輪に接吻することをお願い出来るということです。昨日皆様がされたように、叙階された新司祭の両手に接吻する事は公教会内の習慣ではありません。しかし信徒の方々は司教たちからの祝福とその司教指輪に接吻をすることが出来ます。

 最後に、皆様のために、書物やパンフレットなどを入手できるスタンドを準備しました。それらの書物は、この司教聖別式が、一見ローマの意向に反して執行されるかのようなこの聖別式が何故に離教[行為]ではないかをもっと理解する事を助けるのに必要なあらゆる要素が書かれています。私たちは離教者ではありません! 

 もしも、破門宣告が中国の司教たちにたいしてなされたなら、彼らは自らをローマと絶ち、自分を中国政府の配下に置いたからであって、ピオ十二世教皇が何故彼らを破門したのかは容易に理解できるところです。

 私たちにとって、自らローマと離れることなど問題外です。私たちにとって、教会と関係のない政府の元に身を置くことも問題外です。さらには、パルマール・デ・トロヤの司教らがスペインで行ったように、ある種の別個の教会を作り上げるなどということも問題外です。パルマール・デ・トロヤの人々は、教皇さえ選出し、枢機卿団の編成などさえしたのです。

 私たちにとって、このようなことを行うのは全くの問題外です。考えにもありません。ローマから離れるというこの惨めな考えなど私たちには一切ありません!その反対に、私たちがこの聖別式を執り行おうとしているのは、私たちのローマへの愛着を表明するためです。

 永遠のローマ、教皇聖下、最近の教皇聖下達に先立つすべての前任の教皇たちへの愛着を表明するためなのです。最近の教皇様たちは、残念ながら第二バチカン公会議以来、カトリック教会とそのカトリック司祭職とを破壊している深刻な誤謬を支持することが自らの義務だとみなしてきているのですが。

 そういうわけで皆様方が自由に入手することが出来るように置かれたこれらのパンフレットなどのなかに、ドイツはマインツ大学で教会法学の学部長ゲオルグ・マイ教授によってなされたすばらしい論考があります。

 この教授は何故私たちが必要の緊急事態にいるか、つまり皆様の霊魂を助け、皆様を援助する必要性の中に私たちがいるという事を見事に説明しています。私が思いますには、先程の皆様の拍手は、決して世俗的な[喜びの]現れではなく、むしろ皆様の霊的な[喜びの]現れ、霊魂の救いのため、皆様の霊魂に聖主イエズス・キリストの生命を、正統な教義、諸秘蹟、信仰、御ミサの聖なる犠牲を通して、与えるために奉献されている司教や、司祭達を、とうとう獲得するという喜びを示す、霊的表明なのです。

 天国に行くために、皆様はこの聖主イエズス・キリストの御生命が必要です。この聖主イエズス・キリストの御生命は、公会議後の教会の至る所で消えつつあります。彼らはカトリックの道ではない道に従っています。つまり彼らは単に棄教に進んでいるのです。 

 これこそ私たちがこの聖別式を執り行う理由なのです。教皇になろうなどという気は私にはまったくありません! 私は、カトリックの教義を伝え続けているカトリック教会の一司教にすぎません。

 私が思うに、そしてきっとこれはそう遠くない未来のことでしょう、つまり皆様方が私の墓石に聖パウロのこれらの言葉を刻み込むであろう事です。“Tradidi quod et accipi --- 私は受けた事をあなた方に伝えた。そして他の何物でもないのです。私はちょうど皆様に一通の手紙を配達する郵便配達人です。私はその手紙、メッセージ、天主の聖言葉を書きませんでした。天主御自らがそれをお書きになったのです。つまり聖主イエズス・キリスト御自身がそれをわたしたちにお与えになったのです。

 私たちに関して言えば、私たちはここにいるこれら親愛なる司祭たちを通して、さらに永遠の信仰を保ちそれを信者達に授けることにより、公教会におけるこの離教の波に抵抗するために選ばれた全ての者を通して、ただそれを後世に伝えたのです。私たちは、善き知らせの単なる伝達者、私たちの聖主イエズス・キリストが私たちにお授けになったこの聖福音の伝達者であり、同様に聖化の手段である聖なる御ミサ、真実の聖なるミサ聖祭、霊的生命を実際に与える真の秘蹟の運搬者にすぎないのです。 

 親愛なる兄弟の皆様、私には自分がこれらすべての教皇達、つまりグレゴリオ十六世から始まって、ピオ九世、レオ十三世、聖ピオ十世、ベネディクト十五世、ピオ九世、ピオ十二世の声が私たちにこういうのを聞いています。「私たちはあなたに懇願する、あなたは私たちの教え、説教、カトリック信仰をどうしようとしているのか? それを放棄するつもりなのか? 地上からそれが消え去るままにさせておくつもりなのか? どうか、どうか、私たちがあなたに与えてきたこの財宝を守り続けなさい。信者たちを見捨ててはならない! 公教会を見捨ててはならない! 公教会を続けなさい! 実に、公会議以来、過去において断罪されていた事を、現在のローマ当局は、抱擁し公言している。どうやってそんな事が出来るのか? 私たちは、自由主義、共産主義、社会主義、近代主義、シヨン主義を、断罪した。」「私たちが断罪したすべての誤謬は、公教会の権威者たちによって、今や宣言され、採用され、支持されている。そのような事があり得るのか? 私たちがあなたに与えたこの教会の聖伝を存続させるためにあなたが何かしないかぎり、全ては消滅してしまうだろう。霊魂たちは失われてしまうだろう。」

 私たちは、今、緊急事態にいることがわかります。私たちは出来ることは見なしてきました。ピオ十二世教皇聖下とそのすべての前任者達の取った態度に立ち戻らなければならないということを、ローマが理解することが出来るように出来るだけの手助けをしてきました。カストロ・マイヤー司教様と私自身とは、ローマに行き、語り、何度もローマに手紙を送りました。私たちはこれらの語りかけを通して、これらの全ての手段を通して、ローマに理解してもらうようにし続けてきました。あの公会議以来、さらにアジョルナメント以来、公教会で起こって来ているこの変革は、カトリック的ではなく、永久不変の教義と一致しない、ということをローマが理解するようにと。このエキュメ二ズムと、これらのあらゆる誤謬、この司教団体主義、これら全ては公教会の信仰に反していて、公教会破壊の工程内にあるものであるということを。だから、本日のこの司教聖別の行為によって、私たちはこれら諸教皇の招きに従順に従い、結果として天主の呼びかけに従順であることになると確信しています、何故なら彼らが公教会内で天主の代理者であるからです。

 「では大司教様は何故、或る程度は成功の見込みがあったと思われるこれらの討論を止めてしまったのですか?」はい、正に、私が議定書(プロトコール)にサインをしたのと同時に、ラッツィンガー枢機卿の使者が私に一通のメモをよこし、その中には、私が犯した誤謬について謝罪するようにと要求する旨が記されていたからです。「私が誤謬の中にいる」ということは、「私が誤謬を教えている」ということは、このメモに私がサインするように送ってきた人々の頭の中では、私が真理に連れ戻されなければならない、ということを意味するのは明らかです。「私が犯した誤謬を認める」ということは、「もしあなたが自らの過ちを認めるならば、我々はあなたが真理に立ち返るのを助けてあげよう」という意味です。

 それでは、彼らにとってこの真理とは一体何なのでしょうか? それは、第2バチカン公会議の真理、公会議後の教会の真理以外の何ものでもありません。従って、バチカンにとって今日存在している唯一の真理とは、公会議の真理、公会議の精神、アシジの精神である事は明らかです。これが今日の真理なのです。しかしこのようなことは、私たちとは何の関係もありません! だからこそ、聖伝を無におとしめ、第二バチカン公会議の精神とアシジの精神とに世界を引き込もうとする現在のローマ当局の強い意志を考えた上で、私たちは身を退かせ、このまま続行することは出来ない、と言う事を選んだのです。続けることは不可能です。私たちはまぎれもなく私たちを導いたことになろうローマ委員会の代表であるラッツィンガ―枢機卿様の権威の下にいた事でしょう。私たちは彼の手中に身を置いていました、そして結果的に私たちをして公会議の精神とアシジの精神と引き吊り込もうと望んでいる人々の手に自らを委ねていたでした。これは単純に不可能でした。 

 そういうわけで私は教皇聖下に一通の手紙を送りました。そこで教皇様にこうはっきりと申し上げました。「私たちは、教皇様との全き交わりのうちにいたい、という全ての望みにもかかわらず、[この精神とこの提議を受け入れる事は]どうしてもできません。現在ローマにおいて全てを支配しているこの新しい精神、教皇様が私たちに伝えたいと願っているこの新しい精神が与えられるかぎり、私たちは聖伝において続けることを選びます。聖伝がローマでその地位を再び獲得するのを待ちながら、ローマ当局において、彼らの心の中で、聖伝がその元の場所を再び取り戻るのを待ちながら、私たちは聖伝を守るほうを取ります」と。これは天主様があらかじめご存じの期間、長く続くでしょう。 

 いつ聖伝がローマでその権利を再び取り戻すか、という時を知るのは私の役割ではありません。しかし、私が「生き残り作戦」聖伝の生き残り作戦と名付け、それをする手段を提供するのは、私の義務であると考えています。本日、この日は、生き残り作戦の日です。もし私たちがサインをしてしまった同意に従って存続し、それを実践に移すことによって、私がローマとこの取引をしていたとしたら、私は「自殺作戦 (Operation Suicide)」をしていたことになったでしょう。

 選択の余地はありませんでした。私たちは生き続けなければなりません! そういうわけで本日、これらの司教聖別によって、私は、聖伝を、つまりカトリック教会を生きたままに保ち続けているということを確信します。

Consecration at Econe on June 30, 1988

 親愛なる兄弟の皆様、あなたたちは司教なくして司祭が存在し得ないことを良くご存知です。天主が私をお呼びになる時 ―― これは間もなくであろうことは疑えないのですが ――、これらの神学生達は誰から叙階の秘蹟を授かるのでしょうか? その疑わしい意向のため、疑わしい諸秘蹟を授ける公会議後の司教たちからですか? これは不可能です。

 第二バチカン公会議に至るまで、二十世紀の間公教会が常に叙階の秘蹟を授与してきたのと同じやり方で、聖伝と諸秘蹟を真に守ってきた司教達とは一体誰なのでしょうか? カストロ・マイヤー司教様と私自身です。私は秘蹟を変えることは出来ません。変えることができないからです。

 従って、多くの神学生たちが私たちに信頼を置き、彼らは、ここには公教会の継続、聖伝の継続があると感じたのです。そして彼らは、司祭職への真の叙階を授かる為、カルワリオの真の犠牲、御ミサの真の犠牲を捧げ、そして真の秘蹟、真の教義、真の要理を皆様方に授ける為に、直面したあらゆる困難にもかかわらず私たちの神学校に来たのです。これこそが、これらの神学校の目的です。ですから私は、良心にかけて、これらの神学生たちを孤児にすることは出来ません。同様に、将来のために何も提供することなく死んで皆様方を孤児にする事も出来ません。それは出来ない事です。そのようなことは、私の義務に反するでしょう。

Consecration at Econe on June 30, 1988

 それ故に、私たちは天主の御恵みによって、司教の職務を果たし、皆様の子供達に堅信と、いくつもある神学校でより容易に叙階を授ける事のできるために、適した環境と職務にいると同時に、最も相応しいと思われる司祭たちを私たちの会から選び出しました。従って、天主の御恵みにより、私たち、すなわちカストロ・マイヤー司教様と私自身とは、これらの聖別によって、聖伝に継続の手段を与える事になり、両親たち、祖父母たち、祖先たちの公教会内に留まることを望むカトリック信者達に対して、その手段を授ける事になるでしょう。

 私たちの祖先たちは美しい祭壇をもつ諸々の教会を建てました。しかしながらこれらの祭壇は度々破壊され、テーブルによって取り替えられました。こうすることによって、公教会の中心であり司祭職の目的であるミサ聖祭の犠牲に関して公会議以来生じてきた急進的な変革を表明しているのです。この聖別式の遂行において私たちを支持するためにこれほどの大人数で来てくださったことに対し私たちは皆様に感謝を申し上げます。

Consecration at Econe on June 30, 1988

 私たちは祝された童貞聖マリアに目を向けます。親愛なる兄弟の皆様、皆様が良くご存知のように、ある日「ペトロの座は邪悪の座になるでしょう」と啓示するレオ十三世の予言的な幻視について知らされているに違いありません。レオ十三世教皇は、「レオ13世による悪魔祓い」と呼ばれる悪魔祓いの祈りの中でこう言いました。

 それは今日、起こっているのでしょうか? それとも、明日の話でしょうか? 私にはわかりません。しかしいずれにしても、それは予告されてきているのです。邪悪 (Iniquity) とは全く単純に誤謬のことかも知れません。誤謬は邪悪ですから。つまり、永久不変の信仰、カトリック信仰を、もはや宣言しないという事は、重大な誤謬なのです。もしもかつて何らかの邪悪があったとするならば、これがそれです。そして私は、公教会の中でアシジ以上に重大な邪悪は決して存在したことがなかったと本当に信じています。それは天主の十戒の第一戒と使徒信経の第一箇条に反しています。あのような事が、公教会の中、全教会の目前で起こりえたなどという事は信じられないことです。何と屈辱的なことでしょうか! 私たちは、未だかつてこれほどまでの屈辱をこうむった事はありません! ローマにおける現状について皆様方に情報を差し上げるべく特別に出版されたル・ルゥー (Le Roux) 神学生の書いた小冊子の中に、皆様はこの件についてのすべてを見出すでしょう。 

 このような事柄を言われたのは善き教皇レオ十三世だけではなく、我らの聖母も同様に予言した事なのです。ちょうど最近、コロンビアのボゴタの修道院を受け持つ司祭が、「良き出来事の聖母」の御出現に関する一冊の本を持って来てくれました。この聖母マリア様に、エクアドルのキト (Quito) にあるひとつの大聖堂は献堂されています。これらの啓示は、トリエント公会議の後間もなく一人の修道女が受けたもので、お分かりのように数世紀前の事であります。この御出現は既にローマと教会当局によって認可され、一つの壮大な教会が聖母マリア様のために建立されました。その内部で、エクアドルの信者たちはその御顔が奇跡的に作られた、一枚の聖母の御絵を大いなる信心をもって崇敬しているのです。それを描いた画家はこの聖母の御顔をいざ彩色する過程で、それが奇跡的に仕上げられているのを発見したという事です。さらに聖母は19世紀と20世紀の大半において誤謬が、公教会を破滅的状態に陥れながら、聖なる公教会の中でますますはびこるだろうと予言されたのです。道徳は退廃し信仰は消えて無くなるだろうと。今日それが起こっているのを見ないほうが不可能といえます。

 この御出現についてお話しを続けることをお許し下さい。しかし聖母は、真の司祭達を養成することにより司祭職を救いながら、この棄教と不敬虔の波に真っ向から立ち向かうという一人の高位聖職者について言及しています。この予言が私について言及しているとは言いません。皆様がご自身で自らの結論を出してくださって結構です。この数行を読んでいた時、私は呆然となりましたが、それを否む事が出来ませんでした。なぜなら、それはこの御出現の文書局の中に記録され保管されていることだからです。

 もちろん皆様方はラ・サレットの聖母の御出現を良くご存知であり、そこで彼女はローマが信仰を失い、ローマで一つの「陰り(eclipse)」があるだろうことを言及しています。一つの「陰り」、これをもって聖母が言わんとすることに気づいてください。 

 そして最後に、私たちに馴染みの深いファティマの秘密、ファティマの第三の秘密は、ローマを侵略し、公会議以降世界を覆ってしまったこの暗黒について言及しているに違いありません。さらに、ヨハネ23世がその秘密を公表しない方がよいと判断したことは、疑いなくきっとこれが理由であり、おそらく彼が実行不可能と感じた手段、例えば公会議を見込んで、さらに公会議のために彼が着手し始めた方針を完全に変更することなどの対策を講じる必要があったからでしょう。 

 私たちが頼ることのできる事実がある、と思います。

Consecration at Econe on June 30, 1988

 私たちは天主の御摂理の中に自らを置きます。私たちは天主が御自分の行っていることをご存知であると確信しています。ガニョン枢機卿様は、聖職停止の十二年後、私たちを訪問しました。十二年もの間、私たちはローマとの交わりの外にいるものとして、教皇様に逆らう反逆者にして反対者として語られてから、十二年後に、彼の訪問がなされたのです。ガニョン枢機卿ご自身、私たちが行っている事がまさに公教会の復興に必要であることをお認めになりました。さらに枢機卿様は、1987年12月8日に、私達の神学生たちの聖ピオ十世会への誓約更新のために私が捧げた御ミサに、大司祭として (pontifically) に参列さえしました。私は聖職停止のはずだったのに、です。それにもかかわらず、事実上、私は教会法上問題ないとされたのです。教皇使節たちは、私達が良くやったとおっしゃって下さいました。つまり、私達が抵抗して、良くやった、ということです!

Consecration at Econe on June 30, 1988

 私は今も同じ状況に私達がいることを確信しています。私達の執行している行為は、見かけ上 ---- そして残念ながらマス・メディアは良い意味で私達を支持してくれないでしょう。新聞の見出しは、もちろん、「離教」「破門!」などと書きたいだけ書くでしょう。

 しかし、私達は確信しています。私達が受けるすべての非難、罰則は、全くの無効、絶対的に無効で何の意味をも持たない、と。それについて私達は無視をするつもりです。

 ちょうど私があの聖職停止を無視したように、しかし、最後には教会と進歩的な聖職者達によって良くやったと褒められたように、同様に数年後、--- 私には何年後になるかはわかりません。ただ天主のみ聖伝がローマにおいてその権利を得るために何年かかるであろうかを知っているのですが--- 私達は、ついにはローマ当局によって抱擁される日が来るでしょう。ローマ当局は、その日、より大いなる天主の栄光と霊魂の救いのために、私達の神学校、家族、市民社会、私たちの祖国、そして観想大修道院と様々な修道院において、信仰を維持したことについて感謝することでしょう。

聖父と聖子と聖霊の御名によりて。 アーメン

Consecration at Econe on June 30, 1988