マニラのeそよ風

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第417号 2011/06/08

アヴェ・マリア!

 愛する兄弟姉妹の皆様、
 いかがお過ごしでいらっしゃいますか?

 今年の3月11日に起こった東日本の大震災で多くの方が犠牲となったことを改めてお悔やみ申し上げます。まだご自宅に戻れない多くの方々がいらっしゃることを思い、心を合わせて至聖なるイエズスの聖心の憐れみと聖母の汚れなき御心の御取り次ぎをお祈り申し上げます。

 読売新聞(http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110607-OYT1T00646.htm?from=rss&ref=rssad)によると、日本政府は核燃料が圧力容器を貫通した可能性があると報告したそうです。

核燃料、圧力容器貫通の可能性…政府が報告へ
(2011年6月7日14時30分 読売新聞)

 東京電力福島第一原子力発電所の事故について、政府が国際原子力機関(IAEA)に提出する報告書の全容が7日明らかになった。

 報告書は、破損した1~3号機の原子炉圧力容器の底部から溶融した核燃料が漏れ出し、格納容器内に堆積している可能性を指摘した。

 格納容器まで溶けた核燃料が落下する現象は「メルトスルー」(原子炉貫通)と呼ばれ、「メルトダウン」(炉心溶融)を上回る最悪の事象。これまで圧力容器底部で、制御棒の貫通部などが破損し、高濃度の放射性物質を含む汚染水が漏出したことは明らかになっていたが、政府が公式にメルトスルーの可能性を認めたのは初めて。

 また報告書は、原子力安全規制の行政組織が縦割りで、国民の安全を確保する責任が不明確だったと認め、原子力安全・保安院を経済産業省から独立させ、原子力安全委員会なども含めて、体制を抜本的に見直す方針なども打ち出した。


 また2011年6月5日放送のNHKスペシャルの報道に従えば、福島第一原発の2号機は「とてつもない事故」寸前だったそうです。(http://www.j-cast.com/2011/06/ 07097742.html?p=all)それによると、福島第1原発2号機は、原子炉そのものが爆発危機にあった可能性が強まっており、万が一これが起きていれば、これまでの建屋の水素爆発をはるかに超える甚大な被害が出たと考えられます。

 番組によると、1号機、3号機の建屋が相次いで水素爆発した後の3月14日夕、福島第1原発は、格納容器から気体を抜いて圧力を下げる操作のベントが2号機でできないことが分かり、「ベントができないということになれば、格納容器の内圧が高まってしまい、どうにも制御できなくなって壊れてしまうということです。これは、本当にとんでもないことで、その内圧で原子炉そのものが爆発して核燃料が飛び散って」しまったかもしれなかったそうです。NHKの番組によると、事故対応の現場責任者だった第1原発の吉田昌郎所長は、シミュレーション結果を聞いて黙り込み、免震棟の廊下で休む作業員に声をかけ、「皆さんがここから出るのは止めません」とさえ言い切ったそうです。

 しかし、2号機は翌日の15日朝、格納容器の一部である圧力抑制室が損傷しました。圧力抑制室は、原子炉内の圧力を調節するための装置で、逆にこの破損によって、最悪の事態には至らなかったようです。

2号機「とてつもない事故」寸前だった
作業員に「ここから出るのは止めません」
2011/6/ 7 17:09 J-CAST ニュース

 福島第1原発2号機は、原子炉そのものが爆発危機にあった可能性が強まっている。万が一これが起きていれば、これまでの建屋の水素爆発をはるかに超える甚大な被害が出たものと見られる。

 事故直後の2号機が「これまでにない危機」だったことを、2011年6月5日放送のNHKスペシャルが報じた。

ベントできないことが致命的

 番組によると、1号機、3号機の建屋が相次いで水素爆発した後の3月14日夕、福島第1原発は、予想を超える深刻なシミュレーション結果に直面した。

 それは、格納容器から気体を抜いて圧力を下げる操作のベントが2号機でできないことが分かったことだ。

 1号機では、電動弁が使えなかったが、作業員が高い放射線量で被曝しながらも、手動で弁を開いてベントを行っていた。ところが、2号機では、シミュレーションでそれができないことが分かったのだ。

 確かに、ベントを行っても、1号機ではその後すぐに水素爆発が起きていた。政府関係者の予測を超えて、水素が建屋内に漏れ出していたからだ。しかし、ベントが行えず、もっともっと深刻なことが起きる可能性があったというのだ。

 原発事故に詳しいある原子炉専門家は、こう指摘する。

 「ベントができないということになれば、格納容器の内圧が高まってしまい、どうにも制御できなくなって壊れてしまうということです。これは、本当にとんでもないことで、その内圧で原子炉そのものが爆発して核燃料が飛び散ってしまうことにもなります」

東電社長「現場から撤退したい」

 2号機原子炉の爆発危機を前に、原発事故の関係者には動揺が走った。

 事故対応の現場責任者だった第1原発の吉田昌郎所長は、シミュレーション結果を聞いて、黙り込んでしまう。そして、NHKの番組によると、免震棟の廊下で休む作業員に声をかけ、「皆さんがここから出るのは止めません」とまで言い切った。

 結局、2011年3月14日は、東京電力の社員ら70人を残して、200人以上が原発を去った。さらに、東電の清水正孝社長は、「現場から撤退したい」と政府に5回も電話で伝えている。

 これに対し、菅直人首相は翌15日早朝、東電本店に乗り込んで、「お前らふざけるな」とケンカ腰で言ったというのだ。そして、「撤退は許されない。60歳以上の人間は現場に行って、自分たちでやる覚悟を持て」とまくし立てた。一部報道では、菅首相は、撤退するなら東電の存続は認めないと激怒したとされていたが、これは本当だったようだ。官邸はこの日、東電本店に統合対策本部を設置している。

 東電の撤退要望について、前出の原子炉専門家は、ある程度の理解を示す。

 「とてつもない事故になりかねませんので、現場にいた人からすれば、『留まりたくない』と思っても不思議ではないと思います」

 また、菅首相の激怒についても、「甚大な被害をもたらす可能性を考えれば、国が『逃げるな』と制しても不思議ではないでしょう」と言う。

 2号機は翌日の15日朝、格納容器の一部である圧力抑制室が損傷した。圧力抑制室は原子炉内の圧力を調節するための装置。逆にこの破損によって、最悪の事態には至らなかったのかもしれない。

 別のテレビインタビューで、吉田所長は、大量の汚染水という課題はあるものの、現時点では、1~3号機とも原子炉は冷えて安定しているとの見方を示している。



 もしも、不幸にして、第2号機の原子炉それ自体が爆発してしまったとしたら、隣にある1号機も3号機も4号機も、その爆発の熱で連鎖的に爆発してしまっていたかもしれません。それが避けられたことは、何よりでした。天主に感謝します。

 しかも、原子炉のすぐ上には使用済みの多くの危険な高濃度放射能物質が貯蔵されていました。使用済み核燃料保管プールは原子炉圧力容器や格納容器に保護されている原子炉よりも気密性が低く、核燃料集合体は、3号機には514体、4号機には1331体あるそうです。東京電力福島第一原発には、6基ある原子炉建屋の使用済み燃料プールとは、別に、6375体もの使用済み燃料を貯蔵した共用プールもあります。このプールは、4号機の西約50メートルの建物内にあります。(爆発事故を起こした3号機、4号機に近いため、周囲の放射線量が多く、共用プールの状況を把握できていないそうです。)最悪の場合は、それらが全て、爆発してしまっていたかもしれません。広島や長崎に落とされた原爆の何百倍もの危険な物質が核連鎖反応を起こしてしまっていたかもしれません。それが避けられたと言うことを、不幸中の幸いとして天主に感謝します。地震の多い日本から、原発が一日も早くなくなることを祈ります。

 CNNの報道(http://www.cnn.co.jp/world/30002500-2.html)によると、ウクライナ政府の発表に従えば、原発事故の影響が及んだ地域はスイスよりも広く、事故から25年、チェルノブイリは原発の半径30キロ以内は今も無人のままだそうです。

原発事故から25年、チェルノブイリは今
2011.04.20 Wed posted at: 17:54 JST / CNN.co.jp

CNN NEWS ウクライナ・プリピャチ(CNN) 廃墟と化したビル、人影のない道路。街に漂うのは不気味な静けさばかり――旧ソ連チェルノブイリ原子力発電所の事故から25年、原発に隣接した街プリピャチを訪ねた。

中央広場から見回す街には草木が生い茂り、まるでジャングルに覆われた古代遺跡のようだ。窓の割れたビルが巨人のように見下ろし、屋根からは光の消えたネオンサインが垂れ下がっている。これほどまでに荒れ果てた光景はほかに思い当たらない。

1986年4月26日、チェルノブイリ原発4号機の事故で、この街には放射性物質が降り注いだ。だが住民に避難命令が出た時には、事故発生からすでに36時間が経過していた。パニックを恐れたゴルバチョフ政権は当初、プリピャチの住民に普段通りの生活を続けるよう指示したのだ。

CNN NEWS 子どもたちは学校で授業を受けた。結婚式を挙げたカップルもいた。やがて事故の重大さが否定しようもない事態となり、避難命令が出された。住民は数日後には戻れると聞かされ、少しばかりの書類や現金、食料だけを持ってバスに乗った。

政権の対応のまずさはソ連内部でも厳しく批判された。ゴルバチョフ氏はその後さまざまな場で、チェルノブイリがソ連崩壊を招く要因のひとつになったとの見解を述べた。

あれから25年たった今も、チェルノブイリの落とす影は消えていない。事故で何人が死亡し、何人が死に至ろうとしているのかという議論にも決着はついていない。

国際原子力機関(IAEA)と世界保健機関(WHO)によれば、放射能を浴びた作業員28人が事故直後に死亡し、さらに20人が数年のうちにさまざまな死因で亡くなった。被曝(ひばく)が原因とみられるがんによる死者は4000人にも上るとされる。

また被災者支援組織のウクライナ・チェルノブイリ連合によると、過去25年間で、事故後の復旧作業に参加した14万人が死亡している。ただし、放射能の影響がどの程度を占めるのかは明らかでない。

専門家らは、被災者の間で特定のがんが急増したことに加え、強い不安症状がみられることも指摘する。ウクライナ政府によると、事故の影響が及んだ地域はスイスよりも広く、原発の半径30キロ以内は今も無人のままだ。

事故の影響が消える日はまだ遠い。チェルノブイリのような原発事故がたどる経緯は、時間の単位が人間のものさしとは違うのだ。

事故現場には通常よりもかなり高いレベルの放射能が残存する。近年は人数限定で短時間の観光ツアーも実施されているが、人が安全に住めるのは何世代も先になるかもしれないというのが、専門家らの見方だ。



事故の影響が消える日はまだ遠く、チェルノブイリのような原発事故がたどる経緯は、時間の単位が人間のものさしとは違うのです。事故現場に人が安全に住めるのは何世代も先になるかもしれないというのが、専門家らの見方だそうです。私たちの愛する日本の福島が、チェルノブリイのようになってしまわないことを心から祈ります。

 愛する兄弟姉妹の皆様のしもべは御復活祭をマニラで過ごし、5月には秋田に巡礼に参りました。5月には、今まで何も痛くなかったのに、突然、腎臓結石が痛み出して、初めて自分で日本のミッションを行くことが出来なくなってしまいました。その時の苦しみを日本の被災者の方々と心を合わせて天主にお捧げしました。

 さて、大変遅れましたが、聖ピオ十世会総長のフェレー司教様の「友人と恩人の皆様への手紙」第78号の日本語の訳が出来ていますので、愛する兄弟姉妹の皆様の元にお届けいたします。

天主様の祝福が愛する兄弟姉妹の皆様の上に豊かにありますように! 

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭) sac. cath. ind.



聖ピオ十世会総長の
友人と恩人の皆様への手紙 78号
2011年4月15日 御受難の第一主日
メンツィンゲンにて

聖ピオ十世会総長 フェレー司教

<>:訳者補足

親愛なる友人と恩人の皆様、

 この新しい年は、私たちの為に驚くべき大事件を多く用意してくれました。しかもそれは深刻なとは言わないとしても、不愉快なものだったのです。もちろん私たちは公教会を左右する出来事について話しているのであって、日本に於ける連鎖的な災害についてでもなければ、アラブ諸国及びアフリカに於ける動乱--- これらは全ての人々に警告として役立つはずでした ---について話しているのでもありません! しかし、私の話している事件をまだそのように<不愉快なものとして>理解する人がまだいるでしょうか?

 そうです、あらゆる自然災害 --‐それに伴う犠牲者、悲劇、非常に痛ましい苦悩も含む‐-- 以上に損害を与えるものとは、霊魂を傷つけあるいは殺す災害なのです。もし人々が自分の身体に対するのと同様、自分の霊魂にも気を配るならば、地の面(おもて)は変わることでしょう。しかし、人体のレベルで当然反応させ、即時に痛みを感じるがゆえに治癒を探し求めさせるものは、私たちの霊魂のレベルには、残念ながら、殆どないのです。こんなに多くの悪を全人類と一人一人の人間とにもたらす罪は、ほんの僅かしか感じられません。そのために人々はそれに相応しい救済策を探そうとしません。私たちは霊的災害について話しています。大多数の霊魂たちを迷わせる出来事に、私たちはどんな名前を実際与える事が出来るでしょうか? 何百万どころか、数十億の救霊を危険な状態に置いているこの出来事を何と呼ぶべきでしょうか? ところで、改宗しないように人々を迷わし、それによって霊魂の永遠の滅びをもたらす、少なくとも二つの事件が、今年の初めにローマで発表されました。それは教皇ヨハネ・パウロ二世の列福式と、まさにこの同じヨハネ・パウロ二世がアシジで開催した全ての宗教による初めての会合の25周年目という機会に再開される、アシジでの祈りの日の再現であります。

1983年12月 ヨハネ・パウロ二世
Pope John Paul II becomes the first pope ever
to preach in a Lutheran church; Rome, December 1983
(1983年12月 ローマ / ルーテル教会で説教した初のローマ教皇ヨハネ・パウロ二世)

 これら二つの出来事の意味を理解するのが困難である方々の為に、私たちはただ単に、マルセル・ルフェーブル大司教様の後継者<1982年7月以降>であり当時聖ピオ十世司祭兄弟会の総長職にあったフランツ・シュミットバーガー神父様が、二十五年前まさにこの同じ 友人と恩人の皆様への手紙 にお書きになったものを引用致します。シュミットバーガー神父様はその中で、今年列福されようとしている教皇ヨハネ・パウロ二世により為された行為(ただしそれが全てではないのですが)を列挙たリストを作って下さいました。

(以下引用)

≪1986年1月25日、城壁外の聖パウロ大聖堂に於ける説教中、教皇は平和を共に祈る為に全ての宗教をアシジに招きました。

 今現在、教皇の指揮の下、フランス革命とフリー・メーソン・ロッジの唯一の信条である自由・平等・博愛に基づいた世界大宗教が確立しようとしており、それに私たちがどれだけ近付いているかを理解するには、過去三年間の事件に目をやるだけで十分です。

1.1983年1月25日、教皇によって公布された新教会法典が、聖職身分を廃止。公教会はプロテスタント的意味合いの、下位者も指導者たちもいない「神の民」となる。聖職位階は、単に「奉仕」でしかない。新教会法典発布の憲章に於いてヨハネ・パウロ二世がした説明に拠れば、公教会は“エキュメニズムに対する配慮故に”、“コムニオン(communion):交わり” と定義される。新教会法典第844条は、他宗派の秘蹟の授与をはっきりと許可。新教会法典第204条は、司祭の司祭職と一般信徒の霊的司祭職とを混同、などなど。

2.1983年12月11日の主日、教皇はローマにあるプロテスタント教会で説教を行う。これは多かれ少なかれそこに招かれもせずに押しかけてそこに行った。

1983年12月 ヨハネ・パウロ二世
1983年12月11日の主日、教皇はローマにあるプロテスタント教会で説教を行う

3.ケベック州(カナダ)のシェルブルーク(Sherbrooke)の司教は、何度も繰り返して司教座聖堂内でプロテスタント信徒たちが彼らの偽りの叙階をするように招いた。司教自身これらの儀式に一度参列し、新たに「叙階」された女性「司祭」の手から「聖体」を拝領した。

4.1984年2月18日、聖座とイタリア間で新しい政教条約が締結される。今後、信教の自由に関する公会議宣言が適用され、イタリアはもはやカトリック国家ではなくなる。イタリアは非宗教、即ち無神論国家となる。新政教条約に拠れば、ローマはもはや聖なる都ではない!

5.1984年5月10日、教皇はタイ国のとある仏教寺を訪問。靴を脱いで、大きな仏像がある祭壇前に座っている仏僧の足下に座る。

1983年12月 ヨハネ・パウロ二世
1984年5月10日、教皇はタイ国のとある仏教寺を訪問

6.1984年9月16日付けの司牧書簡に於いて、スイスの司教たちはこの≪同一の食卓で同一のパンを共に拝領する事への望み、つまり<カトリックの>ミサと<プロテスタントの>聖餐式が、もはや別々に挙行されない事を望むこの願望は天主から来る≫という重要な結論に達した。ただし≪私たちがこの願望を実現する時については慎重に検討する事が必要である≫と司教たちは言い足す。その上、結婚に関する法律の変更、まさしく結婚や家族を破壊する法案をスイスの司教らは支援している。ところで彼らの支援の故に、この新しい結婚法は1985年9月22日にスイスで容認された。またもや、司教たちは超自然の秩序のみならず天主により確立された自然の秩序の破壊者たる事を証明した。

7.フランス司教団は、宗教教育用に編纂された子供たちに害を与える異端的公教要理『ピエール・ヴィヴァント(Pierres Vivantes)』を押し付け続る。≪しかし私を信じるこの小さな者を躓かせる人は、ロバの碾き臼を首に掛けて海の深みに沈められる方が良い。≫(マテ18.6)

JOSEPH HOFFNER8.ヘフナー(Höffner)枢機卿と、ドイツの福音派教会評議会議長であるローゼ(Lohse)氏によって1985年1月1日に調印された共同宣言は、混宗婚を行おうとする当事者なる男女に対して、いずれか一方の教会で自由に結婚し、自分の子供たちに洗礼を授けさらに子供たちを教育することを許している。ところで1917年の教会法第2319条は、これら三つの罪をそれぞれ特別破門によって罰している。

信仰について9.『信仰について』(1985年出版)に於いて、ラッツィンガー枢機卿は、他の諸宗教が最低でも救いの≪例外的≫手段であると主張した。否、枢機卿閣下、イエズス・キリストだけ、彼だけが、道、真理、命なのであり、彼を通らずして、誰も御父のもとには行けない!

10.1985年6月24日に出版された公教要理の中で、ユダヤ教の紹介に関する注においてウィルブランド(Willebrands)枢機卿は、私たちカトリックがユダヤ人たちと共にメシアを待っていると主張している!しかも1980年11月17日教皇ヨハネ・パウロ二世がマインツでユダヤ人たちを前にして、旧約は未だに廃止されていないと宣言したが、この注では枢機卿は教皇のこの言葉を参照している。

11.1985年の夏、バチカンはローマに建てられる巨大な新モスクの礎石着工式に公的使節を派遣。

12.1985年8月、ヨハネ・パウロ二世はカサブランカの青年イスラム教徒たちに向かい、あたかもイスラム世界に於いて、至聖三位一体や天主の御託身があるかのように、私たちキリスト教徒たちが彼らと同じ天主を礼拝していると言明した!‐数日後、ヨハネ・パウロ二世は精霊崇拝者や彼らの護衛隊と共に、“水の力” と先祖の神格化された霊を呼び出す場となっている“聖なる森”での宗教儀式に与りに、ロホメ(Lohomay)近郊に赴く。少なくともカラ(Kara)とトーゴヴィル(Togoville)でのとも二回 ---カラではしかもミサ聖祭の前に---、瓢箪(ひょうたん)の皮でできた乾いた生地に水を注いで、トウモロコシの粉をそこに投げ込む。これは<精霊崇拝者たちの>偽りの宗教的信条を表明する行為である。

13.教皇による1980年のドイツ訪問終了に当たって設立されたカトリック・福音派委員会は、1986年1月24日公布の最終報告書の中で、義化、聖体の秘蹟、司祭職及び教皇の権威に関し、二つの信仰間にはもはや不一致は存在しないと宣言。統一エキュメニカル宗教をここで公然と宣言している事は、注意深い観察者なら分かる。

14.さて今度は、1986年1月25日、ヨハネ・パウロ二世は平和祈願の為に集うよう全ての宗教を秋のアシジに招く。( . . . )―≪それでは、我らの聖主イエズス・キリストの神性をはっきりと否定する人々は、一体どんな神に祈るのだろうか? まさしくここに悪魔から来る暗示がある≫、とルフェーブル大司教は批評する。

アシジの集会

15.最後に、インドへの旅行の間、教皇は人間的博愛や社会福祉を共同で促進する為に、対話や、諸宗教の相互理解についてのみ論じる。


 親愛なる友人の皆様、以上のリストが私たちにとって良い知らせだとお思いになりますか? 聖なる公教会の善という唯一の心遣いから、私たちはこのリストを書きつつ苦悩に満ちていました。同様に、私たちは教皇を裁きたいなどとは望んでさえもいません。-私たちは、このデリケートな責務を、公教会の後世の判断に喜んで委ねます。私たちは教皇座が空位だと性急に宣言する人々には属していません。むしろ公教会の歴史により導かれるままになっています。教皇ホノリウスは、その誤った教え<キリスト単意説>故に、第六公会議(第三コンスタンチノープル公会議)によって排斥されましたが、ホノリウスが教皇でなかったとされたことは一度もありませんでした。

 しかし、私たちにはこれらの事実を前にして目を塞ぐ事は出来ません。

 そしてカルボナーリ党の秘密命令やそれの1820年頃の通信文もまた事実であります!そこにはこう読めます。

≪私たちが着手しようとしている仕事は( . . . )数年、いや恐らく百年は続くだろう。( . . . )ユダヤ人たちがメシアを待つように、私たちが探し求め待っているものとは、私たちの必要に従う教皇である。この教皇を以って、天主が御自分の教会をその上に築いた岩<聖ペトロとその後継者>を粉砕する為に、( . . . )私たちは、この陰謀に参与するペトロの後継者の小指を手に入れるのだ。( . . . )要求に適った教皇を私たちが確保するために、先ず私たちが夢見ている彼の在位に相応しい世代が( . . . )形成される事が重要となる。( . . . )おまえは善良なカトリック( . . . )としての評判を築け。この評判は( . . . )若き聖職者たちにも、私たちの教義への接近を許す事になるだろう。数年もすれば、この若き聖職者たちも、自然とあらゆる職務を占拠し( . . . )、教皇選出の為に招集されるだろう。さらにこの教皇は、同世代の大半の人々同様に( . . . )私たちが流布させんとしている人間主義的な諸原理を必然的に自分のもとしているであろう。≫  ≪私たちは( . . . )段階的な小さい手段で( . . . )、一教皇による革命的思想の勝利に到達しなければならない。私にとってこの計画は、常に人間の計算を超えていると思われていた( . . . )。

 その上、私たちはレオ十三世の短い悪魔祓いの原文の中に読み取れます。

≪見よ、いとも狡猾なる敵どもは、一点の染みもない子羊の淨配なる公教会を悲痛で満たし、ニガヨモギを飲ませ、望ましきもの全てを不敬な手により奪いたり。聖ペトロの座及び真理の教座が諸国の光とsちえ設(しつら)えられし所、彼らは己が不敬の忌むべきものの玉座を置きたり。そは、ひとたび牧者が打たれるや、彼らが群れを四散せしめんが為なり。≫  では、人間的に言って、絶望的であるこの状況に直面して何をすべきでしょうか?  公教会と共に祈り、働き、そして苦しむことです。≫

(以上で引用終わり)

 二十五年が経って、上述した言葉はその効力を失ってしまっているのでしょうか? ベネディクト十六世の到来と共に、ベネディクト十六世自身聖なる公教会が深刻な状況にある事を認めておられるので、この状況の回復を期待することができたかも知れません。また、実際に彼は、多くの敵対の中にあって、確かに<聖伝>復興に役立ち得る幾つかの標柱を立てました。彼が私たち司祭兄弟会の為に為して下さった好意的な行動は、私たちの感謝に満ちた記憶に残っております。しかし、アシジの繰り返しは、--- 緩和されたものであれ、また修正を加えられたものであれ、彼の御意向はその様ですが --- 多くの面で躓きの原因となった第一回アシジ<平和祈祷集会>を不可避的に思い出させるでしょう。またその中で最も注目すべきものの一つが、キリストの代理者と、自分たちの偽りの神々や偶像たちの加護を求める大勢の色とりどりの異教徒たちとが隣に並ぶのを見るというあの何とも酷く痛ましい見世物であり、最も驚愕させると共に、最も恐るべき挿絵としてあるのが、アシジの聖ペトロ教会内の聖櫃上への仏像の設置でした。 ところで、この様な集会の開催記念日を祝う事を欲する時、これを始めた人すなわちヨハネ・パウロ二世を非難するのを禁じます。ベネディクト十六世は、今度の新しいアシジ集会に抗議していたある福音派の牧師に宛てて手紙を送り、宗教折衷主義を避ける為にあらゆる事を試みると書きました。しかし、他宗教からの参加者たちに対して、霊魂を救う宗教はたった一つしかないと言うのでしょうか? さらに、初代教皇である聖ペトロが教えた様に、イエズスの御名の他に人間が救われ得る名は天下に存在しない (使4.12参照) と彼らに向かって言うのでしょうか? ちなみに、これら<上述した二点>は信仰箇条なのです。

 参加者たちに対してこの極めて重要な真実を明かさないならば、彼らはこの参加者たちを欺いているのです!もしも、第二バチカン公会議の新しい教導権に基づいて、聖霊は他宗教も救いの手段として、たとえ例外的<救いの>手段についてだとしてもお使いになるのだから、何ら問題がないと彼らに信じさせつつ、参加者にunum necessarium 即ち、唯一必要な事柄を隠すならば、彼らは参加者から救いの手段<カトリック信仰>を奪う事により、参加者たちを誤りに導いているのです。  ヨハネ・パウロ二世の列福に関して言えば、彼の教皇在位全体を聖なるものとする事が、直接の結果となるでしょう。ヨハネ・パウロ二世の全ての事業を、最も躓きの原因となるものさえも、上に叙述されているもの及びその他のもの、例えばコーランへの接吻や、様々な痛悔儀式、つまり私たちの母にして聖なる公教会からの分離と、誤謬及び異端説への愛着によって、多くのキリスト教徒たちの霊魂が失われるのを目の当たりにした離教についての責任が公教会にあるのだと思わせる儀式を聖なるものとさせるでしょう。実際上は、今申し上げた事柄全ては、日常生活に於ける宗教無関心主義へと導き、余りに有害な方向を多少なりとも変える為のローマによる努力は、僅かな成果しかもたらしません。つまり、公教会そのものが無力なのです。

 私たちが誇張しているとか、私たちは大袈裟に話している、あるいは私たちがその場限りの巧言を使っているのだと人々は言うことでしょう。しかしながら、この深刻な事実確認は、パウロ六世、ヨハネ・パウロ二世、それしてベネディクト十六世の発言にさえ見出されます。しかしそれは、天空の琉星の如く現れ、非常に早く忘れ去られると共に、上つまり天を見上げる事を気にも留めない群集を全く無関心のままに取り残しているのです。

 何をすべきでしょうか? 親愛なる友人の皆様、私たちには何が出来るでしょうか? ≪祈りと償い≫は天におられる私たちの良き御母、いとも聖なる童貞マリアによって、ルルドのみならずファティマに於いて残された指令でした。これら天の指示は何時もどころか、これが言い渡された時以上の価値を持っています。皆様の中の多くは、昨年終了したロザリオの十字軍がどのような成果をもたらしたのかと自問しています。私たちは、例え受取状の返送を以ってしてもお答え下さらなかった教皇に宛てた私たちの請願書と合わせてこの成果をお伝え致しております。しかしながら、この事によって落胆すべきではありません。私たちの祈りは天に向かい、また聖母に、いとも善良にして、いとも慈悲深い私たちのお母様に向かって、さらに憐れみ深い天主に向かって突き進んだのでありますから。ですから天主の御摂理の誤り得ない性質に拠れば、自分たちの祈りは聞き入れられるだろう事を疑うことは許されません。良き天主に信頼する事を知りましょう。ただし、公教会と世界の善の為、そしてマリアの汚れなき御心の勝利の為に祈るこの運動を止めないよう皆様に繰り返し依頼する事を、公教会と世界の状況は私たちに提示しています。この危機の激しさと、人類を打ち脅迫するあらゆる種類の災難の増加は、それに対応するふさわしい態度を私たちに要求するのです:≪うまずたゆまず祈れ oportet semper orare et numquam deficere≫(ル18.1)。

 ですから、祈りと償いによる十字軍なるロザリオの十字軍をもう一度開始する事は、聖なる公教会に襲いかかる災いの激しさの激化から見るなら、緊急にして時宜を得ている以上のものだと私たちには思えます。私たちは、本年の御復活祭から2012年の聖霊降臨祭までに、新たな霊的花束と、聖母にとって非常に快い新しいバラの鎖を形作ると共に、天主なる御自分の御子と全能なる御父の傍らにいる御自分の子供たちを省みて取り次ぎをして下さるよう聖母に懇願する為、皆様が御自分の持てる全ての能力と、あらゆる努力とを結合するよう御招き致します。この混乱は霊魂たちの間で増す一方であり、この霊魂たちは羊小屋<公教会>の中にまで侵入した食い荒らす狼たちに引き渡されています。この試練はあまりに強烈で、もしそれが短縮されなければ、選ばれた人々でさえも滅びてしまう程です。過去数年にあった幾つかの慰めとなる諸要素<出来事>は、申し上げた事態を深く変化させたと敢えて言うには十分ではありません。これらの要素は将来に向けた大いなる希望を与えてくれはくれるのですが、それはトンネルのさらに奥深い所にいれば気付くことが出来る微光の様なものなのです。ですから、この凄まじい試練が、短縮されるよう、また公教会が‐‐‐少なくとも第二バチカン公会議以降‐‐‐身に付けている近代主義の司教カッパ(=潅水式時などに見るマント型の祭服)が引き裂かれよう、さらに教会当局が霊魂たちに自らに与えられた救霊の役割を果たすよう、また公教会がその霊的輝きと美しさとを取り戻すよう、そして全世界の霊魂たちが回心の福音を聞いて、唯一の羊小屋<カトリック教会>を再び見出した後に、救いをもたらす諸秘蹟<洗礼、告解、御聖体など>を授かるよう、天におられる私たちの御母の介入を心から求めましょう。ああ!私たちがより少なく深刻な言葉を使えたならどれほど良いことでしょうか! しかしそうする事は、嘘となるでしょうし、事態はひとりでに改善するだろうなどという希望に任せて皆様を安心させれば、私たちにとって罪ある怠慢となるでしょう。

 公教会に圧し掛かり、または近い未来に教会を脅迫する悪から解放されるために、ロシアが<聖マリアの汚れなき御心に>奉献され、この汚れない御心の凱旋が一刻も早く到来するために、再度少なくとも千二百万環のロザリオから成る<霊的>花束を改めて集めたいと思います。皆様の寛大さを私たちは期待しております。

 私たちの祈りがよりいっそう有効なものとなり、一人一人がより大いなる恩恵をそこから引き出す為に、ロザリオを唱える際に最も重要なのは、アヴェ・マリア<めでたし>の数ではなく、むしろ祈る際の祈り方である事を思い起こさせながら私たちはこの手紙を終わりたいと思います。単調もしくは放心に陥るような時は、マリア御自身による指示に従ってこのロザリオを祈る事によって、効果的に雑念と戦うことが出来るでしょう。つまりロザリオの玉をつま繰る時、私たちの聖主及びその聖なる御母の生活場面や諸玄義を黙想する事が重要です。さらに重要となるのは、各玄義に於いて述べられる出来事、即ち、ロザリオの玄義を愛情込めて考える時、明らかにされる救い主の生涯との接触です。十回のアヴェ・マリア(めでたし)は、天主との、そして我らの聖主及び聖母とのこの力強くも優しい接触を伴い、かつ励ましてくれる本質的な旋律のようになるのです。ファティマのシスター・ルチアは諸教皇に倣い、「天主はこの祈りに特別な全能を授ける事を望まれたので、その見事な祈りによって解決され得ない問題などあり得ない」と言う事が出来ました。私たちは、家族による祈りを強調したいと思います。と言いますのも、家族での祈りは、子供たちと若者を、現代社会の誘惑や恐ろしい危険から守るという効果の証拠を日々提供してくれますし、家族を脅かす多くの危険の只中にあって家族的一致を保護してくれるからであります。前回の十字軍を終えて、天主の御摂理の表面的な沈黙により落胆させられるままになっていけません。重要な事柄に於いて、私たちが望んでいるものの正確な価値を知り、その値を支払う覚悟があることを、私たちが証明するのを天主はお望みではないでしょうか?

 まさに我らの聖主の御受難、つまり聖週間や救い主の御復活に近付こうとしている時、皆様の寛大さを祝福し、皆様をその好意的な保護の下に迎え入れ、かつ皆様の切なる祈りを聴きいれて下さるよう、私たちは聖母に願います。

+ベルナール・フェレー
聖ピオ十世司祭兄弟会総長