マニラのeそよ風

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第375号 2006/11/23 教皇殉教者聖クレメンテの祝日

聖クレメンテ

アヴェ・マリア!

 愛する兄弟姉妹の皆様、お元気ですか?

 12月3日は日本の大恩人である聖フランシスコ・ザベリオの祝日です。この祝日の前にノベナ(9日間の祈祷)をする習慣があります。
 (ノベナについては 「マニラの eそよ風」337号 をご覧下さい。)

 そこで、元仙台司教の浦川和三郎司教様の『祝祭日の説教集』の中に掲載されていた「聖フランシスコ、ザベリオに対する九日修行」をご紹介します。(「マニラの eそよ風」の通号が370号からすこし飛んでいますが、これはノベナの紹介のためです。)


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祝祭日の説教集

浦川和三郎(1876~1955)著

(仙台教区司教、長崎神学校長 歴任)

聖フランシスコ、ザベリオに対する九日修行

(第一日) 聖フランシスコ改心して全く世と絶ち給う

 聖人は一五〇六年スペイン、パンペロナ付近のザベリオと云う処に生まれ、十八歳の時パリー大学に遊び、秀才の誉れ高く、卒業後同大学の講壇に立つや、忽ち天下の耳目を聳動(しょうどう)せしめた。

 今や自己愛の念に心を奪われ、虚栄の光に眼(まなこ)を眩(くら)まされ、功名利達の外、復(また)思(おも)う所ないのでありました。時にロヨラの聖イグナチオは耶蘇会の創立を思い立ち、フランシスコが神の光栄を計るに屈強の人物たることを看破して、先ず之を帰服せしめんものと、機を見て之に近づき,説くに救霊の荀(ゆる)且(がせ)にすべからざる所以を以ってし「人たとえ全世界を儲け得とも、其の魂を失はば何の益かあらん」と云う吾主の聖(みこ)言(とば)を繰り返すのでありました。最初の程は格別の効も見えませんでしたが、なおも力を落さず、しばしば同じ聖言を繰り返し、次第に悟りを開かせ、終に聖寵の助力を得て、フランシスコを世俗より救い出し、天主様に一身を犠牲に供すべく決心させることが出来ました。斯くて聖人はイグナチオの指導を仰ぎ、退いて一ヶ月間の心霊修行をなしましたが、その時より心を全く天主様に満たされ、一変して新しき人となりました。是より後、世俗のことは一として聖人の眼を引くに足らず、之にパンペロナの広大なる采地(さいち)を献じても固辞して受けない、之に困難なる聖地巡礼を勧めると、直ちに応じて誓願せられた。前には華美を好み、倨倣(きょほう)に流れ、功名を貪(むさぼ)りしフランシスコが、今や自ら深く謙遜して他人に使役せらるるを喜び、ウエニス市では痼疾(こしっ)病院に入りて、患者の寝台を整え、其の傷を包帯するなど卑しい業務を執り、剩(あまつさ)え其の自己愛を破り、賎しい職務を厭(いと)うの情を殺(そ)がんが為め、故らに患者の腫物を注視し、之に接吻し、なおも其の嫌悪の心を打ち破らんとて其の膿(うみ)汁(じる)を吸い出す迄に至りました。いよいよ印度に向って出発し給うや、スペインなるザベリオ邸宅の傍を過ぎました。此時聖人は外に在ること十七年の久しきに及んで居たのですけれども、入って其の家人にを見たらば、或は天主様に対する愛熱を冷されんことを恐れ、僅かに数十歩の道を枉(ま)げて、邸宅に立ち寄り,老母に別れを告げようとも致しなさいませんでした。聖人は斯くまで、潔く世俗を棄て給うた。其の改心の誠実なることは察するに余りあるではございませんか。


反省 ―

一、私も果たして天主様の有(もの)となりましたか。果たして聖フランシスコ、ザベリオの如く、否な聖人よりも一層深く改心に意を用い、益々世俗に遠ざかる必要があるのじゃありませんか。

二、私が全く天主の有(もの)となるのを妨げるものは何ですか。我が身です。私は我が身に克(か)たねばなりません。悪魔です。私は悪魔を退けねばなりません。世俗です。私は世俗を軽ぜねばなりません。

三、聖フランシスコは天主様の御招(おまね)きに応じて、其の身を聖ならしめ給うた。私も主の聖(おぼし)意(めし)を奉じ、私の務めを忠実に果たして身を聖ならしめることが出来る。否な斯くしてこそ私の聖化を計らなければならぬのであります。


祈願 ―

 あゝ主よ、私の心を征服すべきは主にて在(ましま)す。主獨(ひと)りが私の心を世事より引き離し得べきであります。全能の主よ、私を取り纏(まと)える覊絆を断ち、私をして全く主に帰服せしめ給え、主の忠僕,聖フランシスコ、ザベリオの伝達に頼りて伏して請い願い奉る、アメン。

(続く)