マニラのeそよ風

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第429号 2014/09/03 教皇証聖者聖ピオ十世の祝日

Pope Saint Pius X


愛する兄弟姉妹の皆様、
いかがお過ごしでいらっしゃいますか?

 今年の 8月15日付けで聖ピオ十世会アジア管区は、新しい管区長様を迎えました。ドイツご出身のカール・シュテーリン神父様です。神父様は1988年に司祭叙品を受け、その後ガボンで働き、1993年からは東欧で21年間管区長として働かれました。

 新管区長様からのアジア管区司祭への最初の手紙は「全てをインマクラータを通してキリストにおいて復興させる」"Omnia instaurare in Christo per Immaculatam" というモットーの宣言で始まっていました。神父様は、続けてすぐに、これはご自分の尊敬するコルベ神父様のモットーである、と説明されています。

 これを見たときに、聖ピオ十世の最初の回勅 日本語サイト リンク『エ・スプレーミ・アポストラートゥス』 "E supremi apostolatus" (1903年10月4日) を思い出しました。

 聖ピオ十世はこう書いています。

 「しかしながら、天主は、私の低さを権能のこの充満まで高めてくださることを良しとされたのであるから、私を強めてくださる方において勇気づけられる。天主の力に強められてこの仕事に着手する際、私は、教皇職の行使における私の唯一の目的がすべてをキリストの下に集める(エフェゾ1:10)ことであること、それはキリストが全てであり、全てのうちにまします(コロサイ3:11)ためであることを宣言する。(...) 私は天主の御助けを持って、人類社会のまっただ中において、私にその権威を着せてくださった天主の役務者以外の何ものであることも望まず、それ以外の何ものでもないであろう。天主の利益こそが私の利益であり、その利益のために私の力と命を捧げ尽くす、これが私の確固不動の決意である。だから、もし私が霊魂の奥深くにある私のモットーを尋ねられるなら、私はこれ以外のものを与えることが出来ない。すなわち「キリストの下に全てを集める」である。」

 シュテーリン神父様は、聖マクシミリアノ・コルベに倣い、インマクラータ(無原罪の童貞女)を通して、聖ピオ十世教皇様のモットーを実現することを望んでいます。何故なら、インマクラータこそが「唯一の、避難所であり、私たちをして天主へと導く道である」(シュテーリン神父)からです。無原罪の聖母マリアこそがアジア管区の本当の指揮者・指導者であるように、望むと言われます。インマクラータを通して・インマクラータと共に働くことによって始めて、アジア管区の全ての司祭たちが、カトリック司祭職に忠実であるように、ルフェーブル大司教様から受け継いだ計り知れない宝を忠実に守るようになりうる、という確信を私たちに伝えています。

 これは何を意味するかというと、私たちが従順な道具となるということです。私たちが、インマクラータの思いのままに、聖母マリアの手の内で働くと言うことです。聖母の汚れなき御心への愛によって、私たちがますます会憲に忠実であり、聖ピオ十世会の司祭としての義務、聖ピオ十世会司祭としての共同生活に従順であるということです。そしてこの時始めて、カトリック司祭職が輝き、私たちはインマクラータの汚れなき手の従順な道具となることが出来ます。「その時始めて、改心と聖化の聖寵が、イエズス・キリストの聖心から、インマクラータを通して流れ出る」(シュテーリン神父)のです。シュテーリン神父様の指導の下で、私たち司祭が全てインマクラータの旗の下に結集することが出来るのは、聖母の汚れなき御心と共にイエズス・キリストの十字架の足下に留まることが出来るのは、大変大きなお恵みであり慶びです。

 480年前の1534年8月15日、聖イグナチオ・デ・ロヨラは、別の六名の同志たちと、パリのモンマルトルの丘のふもとにある小さな聖堂で「清貧」「貞潔」「聖地巡礼」の誓願をたてました。これが、実質的に、イエズス会の始まりでした。(カトリック教会の一修道会として、パウロ三世によって認可されたのは1540年9月です。)しかし、いったいその時、異端の攻撃を受けているキリスト教世界を、カトリック教育を通して救うのはこの彼らであると、誰が想像したでしょうか!

 Thomas Hughes 神父著 "Loyola and the Education System of the Jesuits"(1892)によれば、イエズス・キリストのそばにいつもいる親衛隊として、イエズスのそばを離れないお供、伴侶として、イエズス会が生まれるのですが、その彼らが全員一致で「従順」の誓願によって一つになることを望みました。全世界で活動するイエズスの伴侶である彼らがいつまでも長く継続する団体として留まるためには、従属の厳格な原理によって一つとなっていなければならない、と。従順は英雄的な聖徳を生みだす、何故なら、天主の代理として立てられた長上によって命じられた義務をやり遂げようとするのは、本当に従順な人であるからだ、と。従順こそが、訓練を受けた兵士の軍団のように、彼らを一つの団体として動かす、と。「熱意(enthusiasm)」や「熱狂 (fanaticism)」は、決して賢明でもなければ、明晰でもなければ、冷静でもない。それらは本性的で、長続きしない。それらが高い成果を収めることはほとんどない。ましてや 350年(今から言うと480年)も続くこともない、と。

 今年の8月15日からシュテーリン神父様の指導の下で、アジア管区にいる15名の司祭たちが、インマクラータの御許に集い、ますますインマクラータに寄りすがり、自分自身をインマクラータにお捧げすると決意しました。

 願わくは、聖母マリア、私たちを憐れみ、御旨のままに使い給え!

 愛する兄弟姉妹の皆様、聖ピオ十世会アジア管区の司祭たちのために祈り続けてくださるようにお願い申し上げます。願わくは、聖ピオ十世会アジア管区の司祭たちが、私たちの理想であるイエズス・キリストにますます近づきますように!私たちの不足・無能にもかかわらず、聖母の汚れなき御心がご自分の道具として、私たちをお使い、私たち全てを司祭の聖徳に導き、多くの霊魂の救いのためにしてくださいますように!

 さて、今日、聖ピオ十世の祝日付けでシュテーリン神父様から信徒の皆様へのお手紙がありますのでご紹介いたします。このすばらしい日本語訳を作ってくださった方に心から感謝します。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


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新管区長カール・シュテーリン神父より

アジアのすべての聖伝カトリック信者、及び
聖ピオ十世会アジア管区の使徒職の恩人の皆さんへの手紙
二〇一四年九月

Fr Karl Stehlin


 親愛なる友人、親愛なる信者の皆さん!

 天主のみ摂理は、私の長上方の言葉を通して、無原罪のおん宿り、インマクラータの不肖の道具として、皆さんの霊魂に仕えるため、アジアの広大な領土に私を遣わすことをお定めになりました!

 聖マキシミリアノ・コルベが、日本に無原罪聖母の町を作るためアジアにやって来た時、彼の心は悲しみと熱烈な望みに満たされていました。なぜなら、この最も広大な大陸の大多数の人々は、天国の愛すべきおん父のみ名を、天国に永遠の命を得ることを望んでおられる造り主のみ名を、天主のおん子ご自身が私たちを永遠の滅びから救うためにやって来られたということを、この目的のために、おん子が私たちの無数の罪をご自身の血で洗い流そうと十字架上に自らをお捧げになったということを、すべての人々は地上のもっとも優れた母親が自分のひとり子を愛するよりも、もっと私たちを愛してくださる一人の母を天国に持っているということを、そしてこの事実を知らず受け入れないならば、人間は永遠の幸福に入れないということを、知らずにいたからです。


 従って、聖フランシスコ・ザベリオ以来のすべての宣教師たちに一致して、聖コルベには一つの熱烈な望み、一つの決意がありました。すなわち、唯一の真理、唯一の道、唯一の命なるイエズス・キリスト、天主にして人間、聖三位一体の第二のペルソナ、おん父のおん子にしておん母マリアのおん子を人々にもたらすために、自分たちの時間、才能、精神力、肉体と霊魂、全生命を与えることです。かつて、どれほど多くの人々が、宣教師たちを通してやって来た永遠の真理を心の底から歓迎したことか! どれほど多くの人々が、この真理を擁護し手放さないために、みずからの命を捧げたことか──数えきれないほどの殉教者たちの栄光は、最初は日本、それから韓国、インドシナ、中国などにおいてでした! どれほど多くの人々がカトリック信仰を掲げるため、偽りの宗教の破壊から祖国を救うため、信じ難い犠牲を捧げてきたことか! そうです、私たちのカトリック信仰の先祖(みおや)たちは、聖パウロのモットー、のちに私たちの保護者なる教皇聖ピオ十世が採ったモットーを理解していました。OMNIA INSTAURARE IN CHRISTO──主イエズス・キリストにおいて、万事を新たにし、回復し、修復する。すべての殉教者たちは、マリアを通してのみ回心と聖化の恩寵をいただいたため、聖母の重要性と偉大さをも理解していました。

 次のことを理解するのは信じ難いことですが、十六世紀以降、全アジア諸国のすべての宣教師たちのこの宣教の熱意は、突如として沈黙させられ、数百万の霊魂たちの損失となりました。事実、教会が現在までに経験してきた最悪の霊的荒廃を、現在も、何年にも渡ってくぐり抜けてきています。七十年に渡ってアジアは、いわゆる「インカルチュレーション」の破壊的実行を経験してきました。そして教会の指導者たちは五十年に渡って、キリストの最悪の敵からの、そして信教の自由やエキュメニズムといった、教会に何度も排斥されたイデオロギーを採択し続けています。これほど多くの殉教者たちの血、そしてこれほど多くの司教、司祭、信者たちの汗は、現代では不毛で役立たずになってしまうのでしょうか? 無知の暗闇と罪に染まった中に生きるこの多くの霊魂たちを、聖主はお見捨てになるのでしょうか?


 これほど多くの証聖者たち、そして殉教者たちの功徳が決して無益にはならないだろうことを聖主と聖母に感謝することは、私たちにとって特に不可欠なことであります。彼らがいかに働き続けてくださっているかを、私たちは天国においてのみ理解するでしょうが、確実に理解できることは、キリストの真理の光は、少しずつ闇を深くしていく世紀を越えて、アジアを照らし続けるのです。あちらこちらで、多くの司祭たちが「永遠のミサ」、完全な信仰を表現し、聖主の犠牲を一切の曖昧さなく完成させている尊ぶべきローマ典礼を捧げることへと戻ってきています。彼らは「生け贄というカトリック教義を覆い隠し」(オッタヴィアーニ枢機卿)、前述した破壊的イデオロギーを押し進め、典礼を多かれ少なかれ「人間の礼拝」(マイケル・デイヴィス)にさせてしまった新しい典礼の陳腐さ、不毛さ、そして事実上の損傷を理解するようになったがために戻ってきました。

 あちらこちらで、家庭の父親たち、母親たちが、この危険に満ちた時代に、カトリック信者としての、聖主の兵士、そして聖母の騎士の自覚を持たせるため、子どもたちを教育するべき教会の聖伝の規律の真価を認めるために戻ってきています。あちらこちらで、若者たちが物質至上主義の偽予言者たち、地上の楽園の不潔と妄想にうんざりしています。人間の知性は永久的矛盾と相対主義の中に生き続けることはできません。ですから彼らは真理を探し求めます。現実についての論理的説明と、人間の心が自然と熱望するまことの幸福を探し求めるのです。


 聖ピオ十世会の全事業は、救われる可能性のある霊魂たちに奉仕し続け、奉仕し、これからも奉仕するということです。この霊魂たちへの奉仕は、私たちが受け取ったものを他の人々に手渡すこと(tradidi quod et accepi!)で成り立っています。すなわち、非常に古くからの、そして常に色褪せない、永遠に変わることのない、いかなる変更も、縮小も欠陥もない、心を引きつけるカトリック信仰。そして聖主のこの遺産、一にして聖なる普遍の使徒伝承の教会に与えられたこの遺産を、私たちは救霊のすべての敵、とりわけ、恐るべきガンの腫瘍のような、聖にして母なる教会を内部から攻撃し、傷つけ、破壊しようとする人々に対抗して、防御し擁護しなければなりません。

 ルフェーブル大司教様は、カトリック聖伝の宝のためにほぼお一人で戦い、現代の聖会のために偉大な奉仕をなさいました。大司教様の霊的息子である私たちは「キリストにおいて万事を回復する」という彼の事業を続行することを望みます。そして、私たちは無数の障害と悪意には太刀打ちできませんので、不変のカトリック信仰と生命をアジアにもう一度もたらすための勝算は、ただ一つしかありません。この勝算とはインマクラータです。

OMNIA INSTAURARE IN CHRISTO PER IMMACULATAM.
マリアを通して、キリストにおいて、万事を回復させる。

 私たちの聖なる創立者によれば、私たちの第一の関心事は司祭職への召命、兄弟なる司祭たちと修道生活へと奉献された霊魂たちの召命です。天主のご意志を探し求める人々に対し、私たちはあえて彼らの心のドアを叩き、二千年からなるカトリック教義、すべての聖人たちと二六〇人の教皇たちの霊性を見つけ出すよう強く招きます。彼らすべてを救霊のために働くよう、異端、罪、悪魔に対して戦い、至高の大司祭なる聖主ご自身に完全に倣いつつ、まことの司祭職や修道生活を通して聖にして母なる教会に仕えるよう、励ましたいと思います。従って、聖母が私たちをもう一人のキリスト(alter Christus)、あるいは主のはしためとしてくださるために母としての権利と力を用いてくださるよう、私たちは彼らを聖職者とすべての奉献された霊魂たちのおん母に捧げます。

 さらに、私たちはアジアのすべての善意の人々に、永遠の真理と生命の素晴らしさをお伝えしたいと思います。聖マキシミリアノ・コルベは、この世界の最も離れた場所にいる霊魂にさえも届けるための、もっとも現代的な連絡手段を使うよう勧めています。願わくは、寛大な霊魂たちの心を、そしてアジアのすべての国々に、アジアのすべての言語で、変わることのないカトリック教義のメッセージを送るための手段を見つけ出すことを、インマクラータ、無原罪聖母が私たちにお許しくださいますように。願わくは、聖母がすべての善意の霊魂たちに、唯一のまことの信仰の神秘、回心と聖化と聖性の神秘に触れることをもたらすという奇跡を成し遂げ続けてくださいますように、


Fr Karl Stehlin 私たちの信仰の神秘を知らせたのちに、人々が効果的に天主に近づくために天主のみ摂理によって与えられた手段を用いたいと思います。教皇たちによれば、この手段とは特に、聖母が聖イグナチオに与えた「霊操」、み摂理が聖ルイ・マリー・グリニョン・ド・モンフォールに与えた「聖母へのまことの信心」、(聖マルガリタ・マリアに与えられた)至聖なるイエズスの聖心と(具体的にファチマで与えられた)マリアのけがれなき御心の二つの霊性、などです。このようにして、霊魂たちが信仰を保ち、天国の門に至るために涙の谷を通って「狭き門」より入れるように、彼らの霊的生活を養うことを希望します。

 私たちの霊的プログラムの最後のポイントは「キリストが愛したように隣人を愛せ」という偉大な掟を霊魂たちに気づかせることです。教皇ピオ十二世によると(回勅ミスティチ・コルポリス)、これは天主のご意志であり、天主はキリストの神秘体の成員たちの努力によって多くの人々を救うことをお望みなのです。聖母みずから、別の言い方でこのようにおっしゃっています。「祈り、犠牲を捧げなさい。多くの霊魂たちが地獄に行くからです。誰も彼らのために祈らず、犠牲を捧げないからです」(一九一七年八月十九日、ファチマ)。二十世紀の偉大な聖母信心運動の数々は、この真理を経験しました。すなわち、レジオ・マリエ、ファチマの聖母のブルー・アーミー、聖マキシミリアノ・コルベの聖母の騎士です。彼らは、後に続く人々が、祈り、犠牲、善い模範とさまざまな使徒的活動を通してマリアのおそばにもっと近づけるよう、何百という子どもたち、使徒たち、そして「無原罪聖母の騎士たち」を呼び集めました。願わくは、無原罪聖母が、今一度、このような使徒たちと騎士たちが立ち上がり、異教的物質主義の捕らわれから、永遠の救いの喜びへと多くの霊魂たちを連れていくこの奇跡を、私たちに得させてくださいますように。

二〇一四年九月三日、聖ピオ十世の祝日、
パラヤンコッタイ(Palayamkottai)にて
カール・シュテーリン神父


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Fr Karl Stehlin


Fr Karl Stehlin


Fr Karl Stehlin in Nagasaki, Japan


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