マニラのeそよ風

 トップ  >  「マニラのeそよ風」一覧

第382号 2006/12/01

アヴェ・マリア!

 愛する兄弟姉妹の皆様、お元気ですか?

 浦川和三郎司教様の『祝祭日の説教集』の中に掲載されていた「聖フランシスコ、ザベリオに対する九日修行」第八日をご紹介します。


罫線


祝祭日の説教集

浦川和三郎(1876~1955)著

(仙台教区司教、長崎神学校長 歴任)

聖フランシスコ、ザベリオに対する九日修行

(第八日) 聖フランシスコの信心

 聖フランシスコは聖イグナチオの指導の下に初めて心霊修業をなし給うた時、大いに敬虔(けいけん)の心を汲み取り、遽(にわか)に聖徳の域に進まれました。そして天主様と頻繁に交わりを通じてこの精神を養い、之を発育せしめ給うた。ゴアに在っては、人に妨げられない為、常に鐘楼に隠れて毎日二時間づつ黙想し船中でも、夜半から日の出までは同じく黙想に耽(ふけ)り給うのでした。水夫等はそれを知りて、「あゝ少しも風波の患いなし、フランシスコ神父が天主様と物語って居るから」と互いに語り合ったものでした。聖体の尊前に終夜(よもすがら)祈り、ただ暫くの間、祭壇の下に眠り給うことすら珍しくなかった。聴罪司祭さえあらば毎日告白をなし、ミサ聖祭を執行し給う時、其の態度は恭(うやうや)しく、熱心面に溢れ、拝聴者をして覚えず、熱情に燃え立たしめたものであります。感謝、熱愛、喜悦の涙は常に両眼より滴り、天主様と物語り給う時は、恰も眼前に在すかの如く見えた。

 至聖三位を厚く敬愛し給い「嗚呼至聖三位よ」と声を発して屡(しばしば)呼ばり給い、遂には異教人までが聴き覚えて、其の意を解せないながらも、之を口誦(くちずさ)むに至りました。

 主の御受難に殊の外、厚き信頼を置き、又聖母をば己が母君、己が保護者と仰ぎ尊び、新信者にも聖母を尊敬し、之に依り頼むことをくれぐれも説き勧め、尚、天使等にも、聖ヨゼフにも依りすがりて、己が伝道事業を其の御保護の下に委(ゆだ)ね、イエズス会の規定は最も忠実に守り、聖イグナチオが欧州に於いて盛んに其の会員に吹き込み給える規律の精神をば、己はアジアえ在る会友間に花咲かしめ給うのでありました。

 清貧を重んずること聖人の如き修道士は未だ嘗って見ざる所、其の貞潔なるは天使の如く、其の従順に至っては驚くの外なく、「一たびイグナチオの名を以って召されたら、福音宣伝の大事業を中止して、直ちに地球の端よりローマに向って出発するのを躊躇しない」と明言せられたのを以っても察せられるでしょう。信心も斯くまで強い感化力を得るに至ると、人の魂に多大の効果を生せずには措(お)かぬものであります。


反省 -

一、私は信心が足りないと常に歎(なげ)いて居るが、それこそ外は世俗を慕い、内は私欲を逞(たくま)しうせんとするに急にして、天上の事を味う暇がないからじゃありませんでしょうか。

二、然し一たび信徳の眼を開いて見たらば、霊魂の益になることは、如何に微少なことでも、全世界よりも重んずべきだと云うことを悟って来るはずであります。

三、屡(しばしば)秘蹟を授かり、熱心に祈り、聖書を奉読し、我と我が身に警戒を加えること等は、信心を燃やす薪である。哀しい哉、世にはこの方法を用いる人が少ない、悪風の日に増長するのも亦宣(のべ)ならずやである。


祈願 -

 我等の心に感ずべき賜を恵み給う聖霊、完全なる信心もて我等の心を固め、以って主の忠僕、聖フランシスコの如く潔白に熱心に主に奉仕するを得せしめ給え。アメン。

(続く)