マニラのeそよ風

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第343号 2006/05/18 殉教者聖ヴェナンチオの祝日

アヴェ・マリア!

 愛する兄弟姉妹の皆様、
 お元気ですか。今回の「マニラの eそよ風」では、世界中で行われているエキュメニズム運動についてどう考えて良いか分からなくなってしまっている方々のために、或る手記をお送りしたいと思っています。

 聖週間の頃、ブログの 日本語サイト リンク Credidimus Caritati に、カトリック新聞の記事 『青年らが歴史見る巡礼 「なぜ殉教?」の疑問を胸に』を読んだ後の感想を書いたことがあります。私はこの新聞の記事を読んで、付き添いの司祭が二名もいながら、青年達が「殉教」について答えを出すことが出来ないでいるということに疑問を感じました。その記事によると、参加者の青年達は過去と現代とでは「信仰の表し方が全く違う」ことに驚いているからです。そこで、その原因が何にあるか、という事をブログでは書きました。

 しかし、良く考えると、もしかしたら過去と現代とでは「信仰の表し方」が全く違うのではなく、「信仰」それ自体が全く違う、と言わなければならなくなってしまっているのではないか、と強く疑問に思いました。客観的な天主の真理を大切にする信仰ということよりも、主観的な人間のフィーリング(=感情)が大切にする「信仰」という違いではないか、と思われてきました。新しい「信仰」とは、どんな宗教でも構わない、どんな宗教でも同じだ、楽しければよい、という「信仰」のフィーリングです。

 この「信仰」が内的な感情やフィーリングから生じたものだ、というのが正に「近代主義」と呼ばれるものです。(近代主義についてはルフェーブル大司教様の『公開書簡』の
日本語サイト リンク 16. 新近代主義 信仰の基礎を危うくするもの をご覧下さい。)

 そして、その新しいフィーリングを正当化するのに貢献したのがエキュメニズム運動だと思います。ではカトリック教会ではどれ程エキュメニズム運動が行われているのでしょうか? アメリカやヨーロッパでの事情はインターネットなどでそれらを知ることが出来ますが、日本の様子はあまり知られていないかも知れません。韓国では、聖伝のミサに与るパク・テレサ姉妹が私のために作ってくれている新聞のスクラップ帳が今では六冊ほどたまりました。そこで私は、韓国の様子を少し選んでブログで紹介しました。韓国という隣国でのカトリック教会に関することは、日本にはあまり紹介されていないと思われたから、外国でのことだということで拒否感なく、悲しい事実を受け入れることが出来ると思われたからです。

 そこで韓国でカトリック教会とプロテスタント教会、カトリック教会と仏教とのエキュメニズム運動などを紹介しました。(まだ二、三の韓国関係の記事を紹介し、その後は日本におけるエキュメニズム運動を紹介する予定です。)

 もちろん、私たちは病気の人と病気とを区別しなければなりません。医者が病気を治療・根絶するために病人に優しくします。苦い薬でも楽に飲むことが出来るようにオブラートで包んであげます。しかし目が見えないという病気の人に向かって、あなたには眼がついていますよ、病気も健康も同じですよ、指が動かないという病気の人に向かって、あなたには指がついていますよ、病気も健康も同じなんですよ、といったところで何の役に立つでしょうか。それと同じように、私たちも私たちの力の範囲内において、誰にでも出来るだけ親切にし、仲良くしていきたいと思います。しかし信仰を否定することは出来ません。

 聖フランシスコ・ザベリオとその弟子たちは日本に来た時、いろいろな方たちと接し、話し、議論し、そして洗礼を授けました。私も飛行機の中で韓国の仏教徒の女性の方の横に座り、彼女は改宗するなら天主教になりたいと言っていたのを覚えています。かつては韓国でも日本でも多くの仏教徒の方々がカトリック教会に改宗しました。

 彼らは、決してフィーリングで回心したのではなく、カトリック教が真理だからそれに従ったのでした。確かに、カトリックの教えを知ろうと思ったそのきっかけは「救霊に対する真摯にして熱烈なる神父諸師の実際的態度であり、愛の精神に依って社会福祉のために尽される教会の献身的活動」だったかもしれません。

 しかしそれに動かされて、カトリック教会の教えを知りたいと思い、カトリックの信仰が天主の啓示し給える教えであること、真理を完全に護持していること、天主の存在と人類の真の在り方を教えていることを知ったのでした。真埋を愛し、真理を求めつづけ、そして、それがカトリック教会によって護持されている事を知ったのです。

 そして今回そのような方の書いた手記を兄弟姉妹の皆様にご紹介したいと思います。それは六歳の頃から仏寺に預けられ、禅僧として仏に仕え、七二歳まで仏教の住職であった吉井滴水師の書いた、『カトリック教と仏教 ―私は、なぜカトリック教を信ずるか―』です。

 ピオ吉井滴水は今から五〇年以上も前に、七二歳の高齢でカトリックに改宗しました。しかし真理のカトリック信仰へと導くために「私をして今日の喜びに浸らしむるの素地をつくり、私の心を鍛えて下さつたのは巽に大聖釈尊であつたことを忘れることは出来ません、若し私が釈尊の教説に親んで居なかったならば、斯くもたやすくキリストの玄義を理解し得なかつたでありましよう」とも言っています。

 つまり真理に到達したこと自体を感謝し、どのような道を通ってきたかについては、用がなくなれば壊される足場としてそれを感謝しています。三人の東国の博士たちもヘロデによって幼子イエズス・キリストの居場所を教えてもらっています。博士たちはヘロデに感謝したでしょうが、イエズス・キリストを見つけた後は、ヘロデの元には戻りませんでした。それと似ていると思います。

 それではまず、ピオ吉井滴水をカトリック信仰へと導いたその恩師であるヨゼフ・スパー神父様の序文をお読み下さい。

 また私たちは映画『ダ・ヴィンチ・コード』を制作した SONY に対して憎しみを抱くものではありません。しかしこの小説と映画はあまりにも反キリスト教的なものであるので、私たちは決してこれを見ないようにいたしましょう。その時間とお金があれば、私たちはダ・ヴィンチ・コードでなされる多くの冒涜に対して罪の償いを果たしましょう。特に私たちの愛する同胞である日本の兄弟姉妹の方々が、その巧妙に提示された虚偽に騙されることのないように続けて祈りましょう。

 良き聖母聖月をお過ごし下さい。
 天主様の祝福が豊かにありますように!

 聖母の汚れ無き御心よ、我らのために祈り給え!
 聖ヨゼフ、我らのために祈り給え!
 聖フランシスコ・ザベリオ、我らのために祈り給え!

 トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


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文学博士 ヨゼフ・スパー

 私にとつて、今年最大の慰めは、七十二才の吉井滴水師が、夫人ともども、主の御昇天のよき日に、めでたく受洗された事である。

 ああ、御聖寵の道の絶妙にして、測り難きことよ、吉井氏は、過去半生を禅僧として仏に仕へて来られたのである。そもそも六才で寺に托せられ、爾来仏教伝道師、社会事業家となった彼は、その中四年間を、遍歴説教者として、カリフォルニヤに過し、つい二三週間前迄は、姫路北方の古寺の住職をしていたのである。

 併し、生命そのものなる御者、生命の喜びなる御者は、その高貴な魂を、自力本願の禁欲主義の薄闇から、義の太陽の白昼の光へと、徐々に向はせ給うたのである。

 吉井氏は、次のように云っている。「私は延長七十ニマイルのトンネルから、出て来たような気がする。中はじめじめとして真暗だった。しかし今、私は信仰の爛々たる輝きの中に、真理の慰めに充ちた暖さの中にいる。そして新しい家庭の真中にいる自分を見出すのだ。この家庭は新しい。が、私が立去った家庭よりも古いのである。私は故郷に帰りついた。私は平和を見出したのだ」

 今尚、吉井氏は、自分にキリストをもたらした仏教に、感謝している。彼は自己制禦が、英雄的度合いにまで達し、自己消滅が内的進歩の値とも、賞とも見なされている、もっとも厳格な一派に属していた。

 病は計らずも、彼を私の診療所に連れて来た。私は彼の瞳に宿る一抹の不安と、魂の悲しみとを見てとった。

 彼は告白した。「貴方々カトリックの司祭は、自分の愛する御者、又貴方々の信仰によって貴方々を愛して居られる御者の為に働いています。私には信仰がありません。私共仏僧が念仏をとなえるのは、報酬を更けるからなのです。私共には召出しなどはないのです。」

 彼は、私の教理のクラスに出席するようになった。彼は広範囲にわたって読書し、こまごまと質問し、毎日の祈りを怠らなかつた。教理のクラスを了って家に戻ると、彼はかかさず、その日聴いた事を夫人に話してきかせた。今度は夫人が質問する時である。氏は次のクラスの時、私の解答を求めこれを注意深く書き取っていた。

 このようにして、一年以上が過ぎた。彼は一度も教理の勉強を欠かさず、御聖体の尊前で長時間を過していた。彼は荒れ狂ふ熱情に翻弄されて、悪用した青春から立戻ったアウグスチヌスではない。いな寧ろ、真理の断片を一片一片見出しては、敬虔にこれを老後の霊的若さの型にはめこんでいったニューマンの静穏な上昇であった。

 教会を訪れる度に、我々の宗教にもつ隠れた、しかし明白な美に、彼の驚愕は増すばかりだった。

 彼は既に、ハワイのダミヤン神父のモロカイ島訪問の折り、之を感じていたのである。或は又、開拓当時のカリフォルニヤにセッラ神父の遺した教化の跡に眼を見はった事もあった。そして四年前から姫路に於ける我々の事業-或は貧者の為、或は盲人の為、彼自身の言葉を借りれば一碗の飯か一連の笑を必要としている総ての人を相手にした我々の事業を注意深く観察して来たのであった。

 ここに至って、彼は長年鍛へた熟達した長い冥想と外的感受性の克服に依り容赦なく自己分折をした。

 今日迄、彼は人は自力によりすがらねばならない事。救ひとは自己波却に他ならぬことを教えられて来た。しかし長い、曲折に富んだ彼の半生は、彼に、人間の真の弱さ、脆さと、哀れな小さな心の上に首位を占めようとして互に競ふ「光と間」「所信と方便」「道徳と行状」の絶問ない対立を教へたのである。

 「だが、今こそ、私は私の救主を見出した」と彼は云ふ。「仏佗は偉人の一人である。しかしキリストは無比である」と。準備が終った時、彼は座して、己が宗派の本山に当て、辞表を認めた。「私はようやく、生涯を通じて、私を責めさいなんで来た、疑問をとく事が出来ました。カトリック教会は、これらの疑問への解答を把持しています。私は、今、自分の良心に従はねばなりません。今迄私を友として下さつた皆様も、やがて何時の目にか、私の後に倣はれる勇気を、お見出しになるよう、祈って止みません。」

 既に言ったように、彼は御昇天の大祝日に受洗した。吉井氏夫妻は、これより三日の後、列聖された聖ピオ十世をあがめて、霊名にはピオとピアを選んだ。

 今、彼はピオ十世が祭壇の栄誉に上げられた丁度その日、聖体の教皇を記念して祝別された飾磨の新教会で伝道士として働いている。彼はここで、彼の新しい師、キリストを教へている。

 若いカトリック信者のように、夫妻は我々の手本である。彼等は毎朝五時に起床し、祈りを誦え、黙想をする。毎日ミサに与り御聖体を拝領する。彼等の奮発心と熱心は司祭の百の説教程の力をもつ。

 今日、又、私の診療所を一人の仏僧の妻が訪れた。彼女は癌を煩ひ、その苦痛にもだえ苦しんでいた。「どうぞ、私に易しくキリスト様を教へて下さいませんか」と彼女は乞ふのだった。「私はキリスト様の事が知り度くてたまりません」

 そこで私は〃吉井さん〃を呼んだ。今、彼はこの婦人に教理を教へている。きつと自分の改宗記も語っている。であろう。

 彼はこの改宗記を書き上げた。私達はこれを出版したいと思っている。これはキリストと彼自身への感銘深い証明で終っている。「私は、カトリック信者になりました。真理を愛したるが故に…….」

於姫路

(つづく)