マニラのeそよ風

 トップ  >  「マニラのeそよ風」一覧

第342号 2006/05/17 証聖者聖パスカレ・バイロンの祝日

アヴェ・マリア!

 愛する兄弟姉妹の皆様、
 聖母聖月をいかがお過ごしでしょうか?

 先日は大阪で兄弟姉妹の皆様と聖伝のミサでお会いすることができうれしく思いました。土曜日と主日にはミサ聖祭の後に、ルフェーブル大司教様の公開書簡に基づいて、第二バチカン公会議について考察しました。

 5月上旬に、大阪の信徒会長様は肺炎で緊急に入院されましたが、お見舞いをさせていただいた時には酸素吸入や点滴、手足のむくみも取れ、お元気そうなお姿でホッといたしました。


 さて今、巷を騒がせている『ダ・ヴィンチ・コード』ですが、著者のダン・ブラウンは巻頭で「芸術作品、建築物、文書、秘密儀式に関する記述は、すべて事実に基づいている」と言いつつ、読者をだますようなことを書いていますが、本当は全くのフィクションであり、デタラメとこじつけと虚偽との交錯したいわゆる「トンデモ本」なのです。

 そして「歴史小説」という名前で、悪意を持ってカトリック教会を非難攻撃します。特に教会が歴史を歪曲したと告発し「真のキリスト」に関する文書を無きものとしたと非難します。ダ・ヴィンチ・コードの究極の目的は、キリスト教信者の滅びであり、信仰の喪失であり、カトリック教の崩壊なのです。

 私たちは映画『ダ・ヴィンチ・コード』を制作した SONY に対して憎しみを抱くものではありません。しかしこの小説と映画はあまりにも反キリスト教的なものであるので、私たちは決してこれを見ないようにいたしましょう。その時間とお金があれば、私たちはダ・ヴィンチ・コードでなされる多くの冒涜に対して罪の償いを果たしましょう。特に私たちの愛する同胞である日本の兄弟姉妹の方々が、その巧妙に提示された虚偽に騙されることのないように祈りましょう。


 今回「マニラの eそよ風」では「聖会は何故五月を聖母に捧げたのか?」というご質問を取り上げたいと思います。実はもうこの質問は1年以上も前に尋ねられたのですが、答えとなる資料を見いだすことが出来ませんでした。しかし幸いに、とても詳しい兄弟の方が私に資料を見つけ出してくれ、浦川和三郎司教様の説明を入手したので、五月の聖母聖月にちなんで、兄弟姉妹の皆様にご紹介します。

(因みに、カトリック中央協議会のホームページでも 日本語サイト リンクひとくちメモ 聖母月とロザリオ」というページに、一言「聖母月」について言及があります。また 日本語サイト リンク日本と聖母マリア」には、聖フランシスコ・ザベリオ(ザビエル)の鹿児島上陸(1549年8月15日聖母マリア被昇天の祝日)など、天主の御母聖マリアの祝日と日本の歴史に深い関わりがある、と指摘しています。ただし聖フランシスコ・ザベリオは日本の霊的事項に関する教皇大使であったので、日本を天主の御母聖マリアに捧げることも自由に出来ました。そして聖フランシスコ・ザベリオは、更に日本を大天使聖ミカエルの御保護に置き、日本の保護者として決めました。)

 良き聖母聖月をお過ごし下さい。
 天主様の祝福が豊かにありますように!

 聖母の汚れ無き御心よ、我らのために祈り給え!
 聖ヨゼフ、我らのために祈り給え!
 聖フランシスコ・ザベリオ、我らのために祈り給え!

 トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


■【質問】

聖会は何故五月を聖母に捧げたのですか?

■【回答】

 それは先ず全世界にわたり、---少なくとも北半球では---この月ほど自然界が最も美しく装われる月はないからであります。

 園には、バラや、芍薬(シャクヤク)が豊艶を競い、野には千草の花が色とりどりに咲きほころび、遠近(おちこち)の山々は麗らかな日の光に鮮やかな緑の衣を輝かしています。聖会はこの自然界の美を聖母の御眼の前に展開して、その聖(とうと)い微笑みを得たいとするのであります。---アベルが見事に育った羔(こひつじ)を奉献して、天主様に嘉納せられた如くに---しかのみならず、天然の美は自ずから人の心を挙げて天国を慕わせ、浮き世の花は永遠の太陽、その太陽の光に鼻先匂う諸聖人、特に諸聖人の元后たる聖母マリアを仰がせるものであります。なお「バラの花は聖母の愛を、百合の花はその潔白を、観覧の花はその柔和を象る」と聖アンブロジオが言っておられる如く、聖母の御絵、御像の前に捧げる様々の花は、その御霊魂に咲きこぼれて要る諸聖徳を偲ばせるのであります。

 次に五月は誘惑の多い月だからであります。しかり、五月は生命の最も盛んに躍動する月で、樹液が流動して花となり、実となり、枝葉の伸張となるが如く、人体においても血液は脈々としてながれ、特に青少年の心身に異常の変化を来たし、種々邪欲の発動を促し始めるのであります。この時に当たって、露ばかりにも世の汚れに触れ給うた事のない聖母を仰ぎ、その慈母たるの情により頼むならば、傲慢、憤怒、肉欲等の挑発が以下に激しくとも、これをよく斥けて、謙遜、柔和、清浄を操守り、実を高潔に保つことが出来るのであります。

 【聖母月の起源】 この勤行(つとめ)は、一九世紀の初葉、ローマはイエズス会の学校に始まったのであります。同会のラロミア師は校内に青年会を組織し、これを無原罪の聖母マリアの御保護の下に置きましたが、五月中その御保護を一層豊かに蒙られるよう、毎日放課後、会員を集めて説教をなし、聖歌を歌い、祈祷、なかんずくロザリオの祈りを唱えさせました。それは一八一二年のことでしたが、その後、この勤行は迅速にイタリア、フランス、スペインに広まり、一八一五年には教皇ピオ七世の認可があり、同時に毎日この信心を勤める者に三〇〇日の分贖宥と、月一回の全贖宥が与えられたのであります。それから次第に全世界に普及し、今日は何れの国でも、香りゆかしき白百合は聖母の祭壇に手向けられ、信者達は先を争って聖母の栄えを歌うことになっているのであります。

浦川和三郎著 『祝祭日の説教集』(中央出版社 1952年)283-284ページより