マニラのeそよ風

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第339号 2006/04/19 主の御復活後の水曜日

アヴェ・マリア!

 愛する兄弟姉妹の皆様、
 今回はその後少し間があいてしまいましたが、「マニラの eそよ風」325号の続き『見よ、彼らがどれ程愛し合っているかを』を黙想しましょう。

 特に私たちの主イエズス・キリストの御復活の喜びの中で「夫婦の愛の感情」のうち、夫婦相互の尊敬について黙想しましょう。

 良き御復活節をお過ごし下さい。
 天主様の祝福が豊かにありますように!

 聖母の汚れ無き御心よ、我らのために祈り給え!
 聖ヨゼフ、我らのために祈り給え!
 聖フランシスコ・ザベリオ、我らのために祈り給え!

 トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


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カトリック家族とその敵について

----- これから婚姻の秘蹟によって
結ばれようとする兄弟姉妹に -----

(26)『見よ、彼らがどれ程愛し合っているかを』:


(I) 夫婦の愛の感情(その2)
相互に対する大きな尊敬と心遣いの感情

◆(I) 夫婦の愛の感情

7. 相互に対する大きな尊敬と心遣いの感情

 互いに愛し合う夫婦は、常に限りない尊敬を相互に証する。夫婦は互いにあらゆる敬意と名誉を相互に与え合う。これこそが真実の愛の試金石である。このことだけで、夫婦の愛の質とデリカシーを判断するに充分である。

 次のことを強調するのは無駄ではないかもしれない。尊敬は愛の一部である、ということだ。人は尊敬すればするほどそれに従って愛も大きくなる。ある人に対して尊敬を書くことは、すなわち愛の真の欠如を構成する。

 誰かを尊敬するとは、この人を(物や動物としてではなく)人格を持つ者として取り扱うということである。それはこの人に、人間とキリスト者の尊厳に反対するようなことを決して強制しない、ということである。つまりいかなる状況においても、天主の子としての男性として、天主の娘としての女性として、取り扱うということである。

 生まれの良い全ての男性と女性とは、その尊厳を自分たちの持つ全ての内でもっとも貴重なものとして考えている。従って、愛し合う夫婦が相互に、尊敬と気づかいと名誉のあらゆる印を与え合うという常なる繊細な心配と関心を抱いていることを見て、どれ程の喜びと感謝とを感じるかが良く理解できる。

 八年の結婚生活の後に、妻が夫に次のようなほめ言葉を言うことよりも美しいまた感動的なことがあるだろうか。「八年の結婚生活を振り返り、私があなたをもっとも愛しているその理由は、私があなたに今もっとも愛着しているその理由は、私はあなたに今、私の心からのありがとうと言っている理由は、それはあなたがいつも限りない尊敬とデリカシーとを持って私を取り扱ってくれたから。しかもそれは私たちが結婚した八年前からではなく、私たちの長い婚約時代からそうだったから。・・・」

 こうして、この妻は、夫を愛し夫に感謝する全てのいろいろな理由の中で、自分がいつも夫によって取り囲まれていたその尊敬を全てに優って大切に覚えていたのだ。

 尊敬は愛の一部であるということが真理であると同じように、夫婦相互の(そして既に婚約者相互の!)尊敬の欠如は、愛それ自体を破綻させる危険を持っている。

 しかし敬意は、他者の尊厳を繊細に気遣うということ以外の観点を持っている。つまりそれは、敬意が他者の人格とその特別な召命を大切にすることを要求すると言うことである。

(つづく)