マニラのeそよ風

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第304号 2005/10/03 幼きイエズスの聖テレジアの祝日

聖テレジア

アヴェ・マリア!

 兄弟姉妹の皆様、お元気ですか。

 天主に感謝すればするほど、天主は私たちを恵まれる、とは良く聞く言葉です。そして実際、私たちはそれを今、目の当たりにしています。

 今年2005年は、日本における聖ピオ十世会にとって何か特別の年、新しい次のステップへの跳躍の年、恵みの年であるかのように思われてなりません。

 奇しくも今年はルフェーブル大司教様の生誕百周年の年、天主はこの年を日本で盛大に祝うことをお望みなのでしょう。

 聖ピオ十世会アジア管区長のクチュール神父様からのメッセージによれば、今月のフェレー司教様来日にはクチュール神父様がお供することになりました。そこで今月23日主日には、フェレー司教様司式による荘厳歌ミサ(Solemn High Mass, la Messe solennelle avec le Diacre et le Sous-Diacre)を捧げることが出来るようになりました。日本での最初の荘厳ミサはシュテーリン神父様が2002年に来られた時にすることができただけでした。今回は、フェレー司教様を司式司祭とし、クチュール神父様が助祭、私が副助祭を務める予定です。

 午後の2時半頃から4時半頃までフェレー司教様の霊的講話があります。その後、簡単なお茶とおやつを取ったのち、5時頃から、フェレー司教様司式で、主日の晩課をラテン語のグレゴリオ聖歌で歌う予定です。

 フェレー司教様に捧げる霊的花束もただいま集計中ですので、○○の祈り(や犠牲など)を~~回捧げます、との祈りと犠牲の花束をお知らせ下さい。お早めにご連絡下されば幸いに思います。どうぞ寛大な聖なるロザリオの月をお過ごし下さい。


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【質問】 ベルナール・フレー司教様は大阪の「聖母の汚れ無き御心巡回聖堂」に来てくださいますか。
【答え】 はい。フェレー司教様はクチュール神父様と共に大阪と東京を訪問されます。

【質問】 いらっしゃった場合、御ミサの後に私どもとお茶をご一緒してくださいますか。また講話を拝聴できますか。
【答え】 はい。大阪では、聖伝のミサの会場で簡単なお弁当をフェレー司教様と一緒に食べ、霊的講話が予定されています。私が通訳します。  東京では、午後2時半から霊的講話が予定されています。

【質問】 そしてロザリオや十字架の祝別をお願いすることは可能ですか。
【答え】 可能です。

【質問】 フレー司教様にお会いする場合、何か作法のようなものはございますか。
【答え】 もしも司教様が手を伸ばして(あたかも握手を求められるように)下さったら、その手を取って片膝をつき、右手にはめておられる司教の指輪に接吻をします。この接吻には贖宥が付いています。その後、立ち上がって普通に敬意を込めて接して下さい。

【質問】と【答え】おわり。

 では、愛する兄弟姉妹の皆様、そしてこれから婚姻の秘蹟によって結ばれようと準備をしている兄弟姉妹よ、すこし間があいてしまったのですが、私たちは、「カトリック家族とその敵について」の続きを黙想しましょう。

 今回は(12)フェミニストの詭弁 をお届けします。ごゆっくりどうぞ。

 ロザリオの聖母よ、日本のために祈り給え!
 聖ヨゼフ、日本のために祈り給え!
 大天使聖ミカエル、我らのために祈り給え!
 幼きイエズスの聖テレジア、我らのために祈り給え!
 聖ピオ10世、我らのために祈り給え!

 天主様の祝福が豊かにありますように!

 トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


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カトリック家族とその敵について

----- これから婚姻の秘蹟によって
結ばれようとする兄弟姉妹に -----

(12)フェミニストの詭弁

 フェミニズムは、サルトルの論理を使う。それはこれだ。話すことの本質的な目的は、言語のもつ詭弁的な誤解を引き起こすによって相手を納得させる、言い換えると誘惑すること、である。

 サルトルの理論をある人はこう解説している。

 「言語は、表現的な刺激において成立し、それを通して私は相手が私の見方を自分のものとするように誘い、そして相手を支配しようと試みる。」(Pieper, Problems of Modern Faith, p. 130)

 簡単に言うと、フェミニズムの核心に詭弁がある。

 詭弁は、有名な古代のまことしやかな議論の例である。「詭弁家は架空の現実をでっち上げる人のことである。」(同掲書 p. 251) 2つのフェミニズムの形を既に見たが、その両者とも、人間女性の本性に関して、正に架空の現実のでっち上げである。

 マリタンによれば「詭弁とは観念の体系ではなく、単なる壊れた頭の態度である。彼らの知識の目的と規則は、それが何であるか、つまり知識の対象ではなく、対象を知る人の利益である。」(Jacques Maritain, An Introduction to Philosopy) これはフェミニズムに当てはまる。フェミニストが話す時、その「真理」とは自分の「利益」である。(これはマルクス主義者にも当てはまる。)

 フェミニズムと関わる際の難しさは、その「体験」の立場である。これは男性は女性のことに関して何かを言うことが不可能である、ということを暗に意味している。しかし、これは詭弁だ。これはあたかも病人だけが病気のことについて語ることが出来る、麻薬中毒者だけが麻薬中毒について語ることが出来る、とでも言わんとすることであるからだ。何故なら、芸術作品を一つも生み出したことがない有名な芸術評論家らの判断を、誰も疑問視することもしないし、自分は一度も病気にかかったことがないにもかかわらず、病に苦しむ多くの人々を治癒する名医らについて誰も疑問を挟まないからだ。犯罪を一度も犯したことのない誠実な裁判官のなす犯罪に関する健全な裁判を誰も疑ったことがない。

 フェミニズムと関わる際のもう一つ別の難しさは、彼らの使う言葉の意味が個人的な別の意味を持っていることである。一般に使われている確立した意味のある言葉を、全く自分勝手な意味において再定義して使うからである。多くのフェミニストらは「童貞性」「処女性」という概念を定義し直している。彼らによれば、この言葉は性的関係が無いということではない。そうではなくこれは「女性の自律」「女性の独立」を意味している。彼らに言わせれば「女性が男性との関係においてのみ定義されていないこと」である。フェミニストらによれば、自分に対立する反対意見は「強姦」であると描写する。それは自分の味方にたつ同調者を得るためである。フェミニストらは言う。「伝統的な宗教のガイドラインに従うことは、霊的な強姦の一種に甘んじることである」と。フェミニズムに反対する女性たちについてはこの言葉を使うことが出来ないので、フェミニストらは彼女たちのことを「女性の声を出している声帯模写」と呼ぶ。

 アイルランドのカトリック女性作家、カサリン・タイナン・ヒンクソン(Katharine Tynan Hinkson, 1861-1931)は、フェミニストらを次のように特徴付けた。

 「自分に議論の能力が欠けていることを怒りで埋め合わせる女性。」

 フェミニズムのつかう、人の怒りを増幅させるような修辞法と接した時の別の難しさは、誤った論理の上に成り立っているということが分かっていないことにある。フェミニストは、天主の十戒に基づく天主によって定められた秩序を廃止しようと議論する。しかしその議論は、天主の十戒など既に廃止された社会がどれほど望ましいかを描写するだけである。

 フェミニストは、天主が定めた秩序をさして、これは「父系制」であるとか「男性優位」であると言う。そこで彼らは何よりも先ず「父系制は強姦である」「父系制は妻に暴力をふるう」「結婚は女性を奴隷化し搾取する男性の罠だ」と言い始める。

 ここで彼らは明らかに、既に天主の十戒を遵守していない男女を描写している。そしてこれを使って家族制度を廃止させようとする。

 単純に言えば、「中には十戒を守らず問題のある家族もある」というべきところを「全ての家族は問題がある」と結論付けたいのである。罪深い人間の行為故におこったいくつかの家庭の問題を取り上げて、そこから、従って、家族という制度は欠陥があると結論付けたいのである。このような故意の非論理は、騙すためである。

 ケネス・ミノグは次のような別の例を挙げている。

 「抑圧的な制度を『父系制』であると呼んでいるケイト・ミレットは、社会によって深く条件付けられた人々は自分が抑圧されていると気がついていないと言う。彼女はこう言う。『多くの女性たちが自分たちが差別されていると認めていないが、これは興味深いことである。これ以上に、女性たちが完全に条件付けられているという証拠があるだろうか。』ここでは、議論の結論が、その前提において当然視されている。このような議論を petitio principii と呼ぶ。もちろんこれよりも良い証拠を提示しなければならない。」

 【この種の議論の例を分かりやすい形に変えて挙げてみる。「本当に正気を失った人は、自分が正気を失っていると思ってはいない。太郎は自分が正気を失ったとは思っていない。だから太郎は正気を失っている。」】

 私たちはフェミニスト「学者」の全く基礎のないでっち上げを見つけても驚いてはならない。

(続く)


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 ロザリオの聖なる月である10月には、聖ピオ十世会の総長であるフレー司教様がアジア管区長クチュール神父様と共に日本を訪問されることになりました。この特別な司教様のご訪問を歓迎するために、私たちは霊的花束をお捧げいたしましょう。

 霊的花束は、兄弟姉妹の皆様が「フェレー司教様のご意向のため」あるいは「聖ピオ十世会のため」という意向でお祈りを捧げ(あるいは今からその数のお祈りをすると言う約束をして)、その数を私(小野田神父)にメール(fsspx@attglobal.net)で、あるいは東京の信徒会長様に、または大阪の信徒会長様にお知らせ下さい。それらを集計して10月23日の主日、講話会の後に、フェレー司教様にお渡ししたいと考えています。兄弟姉妹の皆様の寛大な多くのお祈りをお願いいたします!


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【お詫びと訂正】 Fellay司教様のお名前は、フランス語ではフェレーと発音するのがより正確なので、お詫びして訂正致します。何故かお名前のスペルのエル(l)が一つであると今まで錯覚しておりました。エルが二つなのでフレーではなくフェレーとなるべきでした。