マニラのeそよ風

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第274号 2005/04/21 証聖者聖アンセルモの祝日

Pope Benedict XVI


兄弟姉妹の皆様、
 私たちに新しいベネディクト16世教皇様が誕生したことを天主に感謝します。

 今回は、聖ピオ十世会総長のフレー司教様からの報道発表がありますので、ご紹介いたします。


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聖ピオ十世会の報道発表

聖ピオ十世司祭兄弟会の名で、総長ベルナール・フレー司教は、ヨゼフ・ラッチンガー枢機卿の教皇登位に祝辞を述べます。フレー司教は、新教皇において、カトリック教会を揺さぶり動かしている深い危機から脱出できるかもしれないとの希望の光を見ています。この危機は、信仰教義聖省の旧長官(訳者注:ラッチンガー枢機卿のこと)によって、ある観点において、またつい最近も聖金曜日の十字架の道行きの説教の際にも、指摘されたものでした。

フレー司教は、最近の40年間忘れられ、悪とされていた、教会の二千年の聖伝が、ついには新教皇様の統治下においてその本来の場所に立ち戻ることを、そして聖伝のミサ聖祭が制限無しにその全ての権利を回復させることを、神秘体の頭である私たちの主イエズス・キリストに懇願します。

最後に、聖ピオ十世会総長は、全てをキリストにおいて回復させることを目指す素晴らしい責務において、ペトロの後継者であるベネディクト16世のために、自分の祈りはもちろん、聖ピオ十世会の全ての祈りを確証します。

2005年4月19日
+ベルナール・フレー
総長


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【訳者注】

 ラ・レプッブリカ紙によると、信仰教義聖省前長官であるラッチンガー枢機卿は、聖金曜日に十字架の道行きを説教し、その第九留でこう黙想しました。

 「・・・ 私たちは、キリストがご自分の教会自身において苦しんでいるに違いないと言うことを考えなければならないのではないだろうか。御聖体において虚ろで悪い心が頻繁に入っているが、私たちはキリストの現存する御聖体を、どれほど多く乱用しているだろうか! 私たち自身でさえも、どれほど多く、キリストの現存を意識さえもせずにミサを執行していることだろうか! キリストのみ言葉がどれほど多く歪められ曲げられていることか! 非常に多くの理論において、何という信仰の欠如があることか! どれほど多くの空っぽの言葉があることか! 教会においてどれほどの汚れがあることか! 特に司祭職においてキリストにまったく属しているべき者たちにおいて、どれほどの汚れがあることか! 何という傲慢そして自己充足! キリストが私たちの失墜から立ち上がらせてくれるために私たちを待っておられる和解の秘蹟に対して、何という関心の欠如があることか! これら全てはキリストの御受難に存在している。弟子達の裏切りとキリストの御体と御血を相応しくないにもかかわらず拝領することは、確かに、贖い主の最も大きな苦しみ、聖心を貫く苦しみである。・・・ 主よ、私たちにはしばしば、御身の教会は沈みかけている小舟のように、あちこちから水が入っている小舟のように思えます。私たちは、御身の畑において良き麦よりももっと頻繁に毒麦を見いだします。御身の教会のかくも汚れている服と顔は、私たちをして恐れさせます。しかしこれを汚しているのは私たち自身なのです。私たちの美しい言葉ときれいなジェスチャーの後で、毎回御身を裏切っているのは、私たち自身なのです。・・・」

 ラッチンガー枢機卿は典礼についてこう書いています。

 「教皇権力の典礼分野までの拡大のために、基本的に教皇は典礼に関して、特に教皇が公会議の決定に基づいて行為する場合は、全能であるかのような印象を与えている。この印象の結果は特に第2バチカン公会議後に目に見えている。それは典礼が与えられたものであって自分の思いのままに変えることの出来ることではないということが、西方カトリック者の意識の中から完全に消え失せてしまった。しかし1870年第1バチカン公会議は、教皇を絶対君主としてではなく、啓示された天主の御言葉に従順な保護者として定義している。教皇の権能の正当性は、とりわけ教皇が信仰を伝えると言うことに縛られている。信仰の遺産への忠実さと信仰の伝達への忠実さ典礼において特別な仕方で関わってきている。いかなる権威当局も典礼を「作り上げる」ことは出来ない。教皇ご自身は典礼の同質的な発展、典礼の完全性とその同一性の永続のための謙遜なしもべに過ぎない。」(ラッチンガー枢機卿『典礼の精神』Ad Solem, 2001, p.134)

 聖ピオ十世会総長の言うように、カトリック教会の二千年の聖伝は、この40年間教会から忘れられ追放されていました。40年という数は聖書によれば砂漠での放浪の期間ではないでしょうか。ベネディクト16世を「ヨシュア」として、ついには聖伝という約束の地に私たちは入ることが許されるのでしょうか?

 ベネディクト16世が、まだ枢機卿であったとき何を書き、何を言ったとしても
外国語サイト リンク http://www.sspxasia.com/Documents/SiSiNoNo/
1999_March/The_Memories_of_a_Destructive_Mind.htm
,
外国語サイト リンク http://www.sspxasia.com/Documents/SiSiNoNo/
1999_May/The_Memories_of_a_Destructive_Mind.htm

 そしてこれから教皇様として私たちに何を言いまた何を書こうとしても、私たちは教皇様として敬い続けましょう。ちょうど私たちが故ヨハネ・パウロ2世教皇様を敬いそのために祈っていたように。何故なら、第1バチカン公会議はこう言うからです。

 「聖霊がペトロの後継者たちに約束されたのは,聖霊の啓示によって,新しい教義を教えるためではなく,聖霊の援助によって,使徒たちが伝えた啓示,すなわち信仰の遺産を確実に保存し,忠実に説明するためである。」

 私たちは、聖ペトロの後継者に対する最高の奉仕として、天主の御助けによって、この聖伝の信仰をこれからも守り続けましょう。

 願わくは、天主が新ベネディクト16世教皇様を守り導き給うように!
 聖霊、来たり給え! 

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)