マニラのeそよ風

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第183号 2003/10/09 聖ヨハネ・レオナルドの祝日

聖ヨハネ・レオナルド  聖ヨハネ・レオナルドは、1550年ごろ、ルッカ教区(イタリア)のディエチモで生まれた。ルッカ市で薬剤師のもとに奉公しのち司祭となった。囚人や病人のために活動し「天主の御母の律修聖職者会」を創立した。修道院の改革に関連して、その視察師を命ぜられる等、教会から重大な任務を負わされた。またローマの布教聖省と、布教地から来る神学生のためのウルバノ大学創立に、大いに貢献した。1609年ローマで没し、1938年ピオ11世により列聖された。

第2バチカン公会議についてよく知ろう!


その1 何故、今頃、第2バチカン公会議の話を?


アヴェ・マリア!

兄弟の皆様、
 パウロ6世教皇様は、今から40年前に行われた第2バチカン公会議(1962年-1965年)について、1976年ルフェーブル大司教にこのような手紙を書いたことがあります。

 「或る意味において、第2バチカン公会議はニケア公会議よりももっと重要である。」

 ニケア公会議(325年)は、カトリック教会の最初の公会議で、イエズス・キリストが天主であるということを否定し信じない異端説(アリウス主義)を排斥した決定的な公会議でした。そしてパウロ6世教皇様は、イエズス・キリストが天主であると荘厳に再確認して宣言した公会議よりも、第2バチカン公会議のほうが重要である、と言われたのです。

 パウロ6世の個人蔵書は、ミラノにある「モンティーニ図書館」に保存されており、見学することが出来ますが、そこへ行ってみるとパウロ6世が最も急進的で進歩主義者であった神学者らの著書を丹念に読み、ノートを取っていたことが分かります。その中でもパウロ6世は、とりわけハンス・キュンクの著作を読んでいたことが分かります。ハンス・キュンクが明らかに正統信仰から離れて行っても、パウロ6世は自分のしていることをよく知りつつも故意に、あくまでも、彼を排斥することを拒否したのでした。

 パウロ6世は、革新主義者、進歩主義者からの教会批判や攻撃はどのようなものでも放任してきました。しかし、一つだけ耐えられなかったのが第2バチカン公会議に疑問を挟む人がいることでした。

 ところで、第2バチカン公会議以後、カトリック教会はかつてなかったほどの多くの問題を抱えて困っているのではないでしょうか。統計は、私たちにそのことを語っています。(例えば、 「マニラの eそよ風」156号 に掲載したアメリカでの統計をご覧下さい。)

 第2バチカン公会議以前、カトリック教会の状況は、国ごとに非常に異なっていました。スペイン、フランス、ベルギー、イタリア、カナダ、アメリカ、南米諸国などなど。ところが、第2バチカン公会議以後、状況はどの国も同じで、教会の権威の失墜です。

 私たちの兄弟であるカトリック信者の大部分は、善意をもって第2バチカン公会議の決議を実践しようとしました。「地には善意の人々に平和あれ!」私たちは、この善意の兄弟たちを批判したいとは思いません。私たちにとって、兄弟たちの欠点をあげつらって楽しむことは嫌いです。ただ、カトリック教会を愛するが故に、一体何故、教会はこれほど苦しんでいるのか、その原因を知りたいと思うのです。

 私たちキリスト者は、キリストに従って歩むものではないでしょうか? 弟子は師に優らず。弟子は師の後を慕うものです。私たちの主は「私は道・真理である」と言われました。私たちも「真理」を求めたいのです。

 では、この教会の危機的な状況は何が原因なのでしょうか?

 教会の最高責任者である教皇様の個人的な資質に不足があったからなのでしょうか? そうとは思われません。

 「ヨハネ・パウロ2世神話」という言葉があるほど、教皇様はその年齢と病の体にも関わらずダイナミックで、教会史上始まって以来と言うほどの人気があるかたで、教会の危機は、教皇様の個人的能力の不足という理由によるものではないと思われます。では何故、教会の危機は年々ますます大きくなり、続いていくのでしょうか?

 1994年に発行されたコンキリウム誌(Concilium)の中で、Norbert Greinacherは、微動だにせずこう言っていました。「1900年の古き歴史をもち、おそらく不可変となったカトリックのアイデンティティーは、公会議の間にそして公会議によって決定的に崩れ落ちた。」

 「カトリック教会のアイデンティティーが・・・決定的に崩れ落ちた」? つまり、カトリックがカトリックではなくなったのでしょうか? これはどういうことなのでしょうか?

 コンガール枢機卿も、第2バチカン公会議によって教会は過去と断絶したと語っていましたが、「1900年の古き歴史をもち、おそらく不可変となったカトリックのアイデンティティーが崩れ落ちた」こととは、この「過去との断絶」と言うことなのでしょうか。 マニラのeそよ風 第157号

 パウロ6世教皇も、第2会期の開会演説(1963年9月29日)の中で、公会議の主要目標をまとめて「教会の自覚、刷新、私たちの時代の人々と教会との話し合い」などを挙げ、まず、教会が新しい「自己認識」をするように求めました。この新しい「自己認識」によって、教会と世俗の世界との新しい関係を求めるようになり、天主とキリスト者とに新しい関係を取るようになり、カトリックに新しいアイデンティティーを与えることになったのではないでしょうか。

 第2バチカン公会議によって、「キリスト者としての新しい在り方」が生まれたのではないでしょうか? 

 第2バチカン公会議は、現代世界と共に歩み、かつキリスト者として留まるためには、どうしたらよいか、という問の答えを探そうとしたのではなかったのではないでしょうか。

 ですから、一緒に、第2バチカン公会議をありのままの見つめてみましょう。

 私たちは、第2バチカン公会議の提示する「キリスト者としての新しい在り方」を見ることによって、それをカトリックの聖伝の教えと比較することによって、私たちの信仰を深めていくことに致しましょう。

 私たちは、天主の摂理によって、第2バチカン公会議以後の時代に、教会の信仰の危機の時代に、生きています。私たちはこの危機を私たちの聖化のために与えられた反面教師として、現状から逃避することなく、聖伝のカトリック精神を明らかにしていくことが出来れば幸いに思います。

 【なお、この文章を作成するに当たり、聖ピオ十世会司祭であるギヨーム・ドゥ・タヌワルヌ神父の『第2バチカン公会議と福音』(Vatincan II et l’Evangile par l’abbe Guillaume de Tanouarn, 2003, Editions Servir)を参考にしたことを付記しておきます。】

 善きロザリオの聖月をお過ごし下さい!


トマス小野田圭志 (聖ピオ十世会司祭)