マニラのeそよ風

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第167号 2003/09/12 聖母の聖名の祝日

「今日カトリック司祭職の敵は、同時に天主そのものの敵対者である。」
(ピオ11世)

アヴェ・マリア!

 兄弟の皆様、お元気ですか。
 オリエンス宗教研究所発行の「福音宣教」誌 2003年6,7号には、連載でG. ネラン師の「使徒もミサを捧げ得るか―――古代教会でのエウカリスチア―――」という論文が掲載され、それについてコメントを求められたので、以下に書いてみたいと思います。


新約のいけにえを捧げるために叙階の秘跡を受た「司祭=祭司」のみが、キリストのペルソナに代わって、ミサ聖祭を捧げることができる

ネラン師の意見
 オリエンス宗教研究所発行の「福音宣教」誌 2003年6,7号に連載された G. ネラン師の「使徒もミサを捧げ得るか―――古代教会でのエウカリスチア―――」という論文によると、ネラン師の主張の要点は次のようだ。

<古代にはミサを挙げる選任の司祭はいなかった>
(1) 「祭司」と「司祭」を区別すべきである。ギリシア語の hiereus、これに対応するラテン語の sacerdos は、「祭式を執り行うもの」であり「祭司」と訳されるべきである、また、ギリシア語やラテン語の presbyteros, presbyter は、「何らかの団体において務めを持つもの」であり、「長老」である。現代の教会の「長老」は「教会の奉仕者」であり、キリスト教用語として「司祭」と訳されている。西洋の諸言語ではその区別がなく、「長老」も「祭司」も同じ言葉を使っている(例えば英語の priest)。中世頃から現在に至るまで言葉の混交が生じ、神学上の誤解を導いている。
(2) 新約聖書では、教会の職務(長老など)を示す語として「祭司」は使われていない。従って、キリストの弟子は祭司でも長老でもない。キリストの教会にはユダヤ教や他宗教におけるような「祭司」は存在しないということである。
(3) 新約聖書では「長老」は、教会の一つの職務であり、教会の指導者であるが、長老とエウカリスチアを結びつける箇所はどこにもない。長老の主な職務は教えることなのだろう。
(4) パウロのコリント人への手紙の中には、「晩餐を取りしきる者」という名称は出てこない。エウカリスチアを執り行う先任者はいなかったことではないだろうか。パウロは「主の晩餐」のトラブルを非難するが、「晩餐を取りしきる専任者」ではなく信徒一般を非難している。「主の晩餐」の「司式者」は、突然割り当てられた信徒の一人だったのだろう。だから、信徒は洗礼を受けた以上、エウカリスチアを執り行う権利を持っていたといえる。
(5) ヘブライ人への手紙には、キリストが大祭司であるといわれるが、それには無理がある。「キリストは最初のものを廃止する」(原文では10:1となっているが10:9の誤りだろう)のであり、キリストの業は祭司職の終焉を告げている。この手紙はキリスト以後には祭司は存在し得ないと教えており、教会の中にキリストの祭司職に与る祭司があるということは、この手紙からは引き出せないどころか、この手紙の教えの反対である。
(6) ペトロの手紙では hierateuma 「祭司衆」という言葉があるが、信徒が「祭司」であるとは言明していないし、エウカリスチアを参照していない。この手紙から信徒のある種の祭司職を読みとるのは根拠がない。

<古代の排斥した「祭司」 hiereus は、ミサを挙げる者の固有の名称になった>
(7) イグナチオの書簡には、episkopos、長老たち、執事たちの務めが出てくるが、episkopos は信徒全体のキリストにおける霊的な一致のシンボルにすぎない。長老たちはエウカリスチアとは関係ない。エウカリスチアの司式者は episkopos だ。4世紀から6世紀まで、祭司(sacerdos)とは司教であったが、長老が司教座から離れたところで司教の代わりにミサを捧げることになったので、長老も「祭司」と呼ばれるようになった。11世紀になると、司教は「祭司」と呼ばれなくなり、長老が「祭司」と呼ばれるようになった。
(8) トリエント公会議は、ミサの犠牲と司祭の祭司職について教える。公会議はミサが十字架の犠牲を現在化(repraesentare)すると宣言し、エウカリスチアにおいてキリストが秘跡的に(sacramentaliter)臨在することを教える。
(9) 第2バチカン公会議は「信徒の祭司職」について語るが、それと「聖職者の祭司職」との相違は謎のまま残る。公会議は、信徒と司祭との差異の現状を鑑みて、信徒は洗礼により、司祭はミサにより宣教するべきであると述べる。しかし信徒がミサを捧げることを禁じていない。

<教会における組織憲章は福音書である>
(10) ミサを挙げるのは、本来、選ばれた一人ではなく、信徒の集合全体である。ミサの司式者は、共同体に仕える奉仕者であり、キリスト教では聖なるものと俗なるものとの差別はない。すべてのものは「聖なるもの」であり、司祭も「同じ人間に過ぎない」のである。
(11) 古代教会には「秘跡」などと言う概念は用いなかった。しかし「主の晩餐」においてキリスト自身が臨在し、働きかけていると信じていた。「これは私の体である」というキリストのことばを繰り返すものは、特殊な才能も技術もいらない。信者の誰でも出来るサービスである。キリスト教を述べ伝えるというのは司教団の固有の使命であり、ミサを挙げるというのは信徒の中の一人の務めである。

<改革は全世界の司教団の認定次第である>
(12) 以上の通り、パウロ時代には信徒が主の晩餐の司式者であった(4)。後の公会議がそれを禁じたこともない(8,9)。神学上、信徒がミサを挙げることは可能である。しかし信徒がミサをすることが出来るという改革は、全世界の司教団の認定が必要である。その意志さえあれば出来ることだ。秘跡を執り行うのは司祭のみの特権ではない。信徒も洗礼を授けることができる。なぜミサを執り行うことが出来ないのか その理由はない。これは根拠のない差別である。信徒を本来の地位に復帰させ、差別を廃止してもらいたい。


 以上の議論に私たちはこう答えたいと思う。

<古代から、ミサを挙げる選任の司祭がいた。福音書だけが、教会における組織憲章ではない>
 新約聖書に、キリストの教えのすべてが書かれているわけではないし、聖書が唯一の究極規範ではない。東方、西方を問わずに2000年間の間、キリスト教の全聖伝は、ミサ聖祭と私たちが呼んでいる儀式を捧げる平信者とは区別された人びとの階級の存在することを語っている。キリストの教会には常に平信徒と身分上区別させる「叙階の秘跡」が存在していたし、存在している。

 新約の現実は、預言されていた旧約の影の実体である。

 「豪華な飾りによって、否さらに、その規則と儀式とによって、感嘆すべきサロモンの神殿は地上における天主の幕屋として建立されたばかりでなく、この犠牲と司祭職の偉大さを公に証明するものとして建てられた。この犠牲も、司祭職も未だ影にすぎず、象徴にすぎなかった。・・・とはいえ、この旧約の司祭職は、それが、イエズス・キリストによって与えられ、真の人、真の天主にて在す御者の聖血によって固められた、新しき永遠の契約の司祭職の前表であったという事実からのみ、その尊厳と栄光とを得ていた。」(ピオ11世)


(1、2) 「祭司」と「司祭」の区別について、キリストの弟子は祭司でも長老でもない、キリストの教会にはユダヤ教や他宗教におけるような「祭司」は存在しない、という主張に対してはこう反論する。

「祭司」と「司祭」presbyteros, presbyterとの区別
 語源を言えば presbyteros とは、neoteros(新米)に対立する意味で「年長の」「年配の」という意味であり、取り立てて「何らかの団体において務めを持つもの」という限定された意味はない。確かに、現代西洋諸語のうち英語(priest)、フランス語(pretre)、ドイツ語(Priester)、イタリア語(prete)は、presbyteros, presbyter を語源とした言葉を sacerdos(「祭司」「司祭」)という意味で使っている。


ネラン師の誤解
 キリスト教諸国の英語、フランス語、ドイツ語圏の高名な神学者たちが、数世紀にもわたって誤解をしてきたのであろうか、それとも、ネラン師が誤解をしているのだろうか。単語は異なるとはいえ、実は最初から、presbyteros も hiereusも、同じ現実を示していたのではないだろうか(ちょうど「ヒト」と「ニンゲン」とが同じ現実を表しているように)。私は、明らかにネラン師がキリスト教の sacerdos および presbyter というものが何であるか、その理解において誤解があったと思えてならない。


Sacerdos
 Sacerdosという概念とその役職を持つ人は、ユダヤ教のみならず、その他諸々の異教にも存在している。そして sacerdos とは、天主の礼拝に関する役務者であり、天主にいけにえを捧げ、天主と人とを仲介するものである。(ヘブライ5:1) Sacerdos という言葉は、hiereus がそうであるように「聖なるもの」(sacer- hier-)に関わるものである。Sacerdos は、その下に下位のしもべや下級役務者を持ち、その助けを得ることもあれば、特別の社会階級に属していることもある。あるいはメルキセデクのように全く独立した存在である場合もある(ヘブライ7:33)。しかしそのような付帯的な違いを超えて、sacerdos とは、天主を共同体の名前で礼拝するために権限を受け、天主にいけにえを捧げる人間のことである。

 旧約のモーセの時代では、天主の礼拝のために sacerdos、また、レビ族の下級の役務者たちがおり、彼らの頭には「大祭司 summus sacerdos = 祭司長 princeps sacerdotum 」がいた。新約は旧約の影の現実であり、完成であるので、新約の sacerdos を理解するためにも、旧約の sacerdos を見てみることにする。

旧約のsacerdos
 イスラエルの民は、モーセの元でシナイの山で律法を受けてから、sacerdos という特別な階級の人びとを得るようになった。これは来るべき新約の影であった。旧約の sacerdos は、新約において完成させられるべきものであった。天主ヤーヴェはレビ族のなかでも特別にアアロンの家を恒久的に且つ排他的に sacerdos の生まれる家系とした。そして、アアロンを初めとしてアアロン家の長子は「大祭司 summus sacerdos = 祭司長 princeps sacerdotum」として選ばれるべきものとなり、レビ族はsacerdosではなくそれに仕える補佐でありしもべであった。アアロンが「大祭司 summus sacerdos = 司祭長 princeps sacerdotum」として油を注がれたとき(Ex., xxix, 1-37; xl, 12 sqq.; Lev., viii, 1-36)、全ての将来のアアロンの子孫たちの聖別が含まれていた。
 血統の重要性 (I Esd., ii, 61 sq.; II Esd., vii, 63 sq.)、身体の完全性(Lev., xxi, 17 sqq.)、年齢制限(II Par., xxxi, 17)、婚姻上の制限 (Lev., xxi, 7)などがあった。司祭には特別の服装があった(feminalia linea:Ex., xxviii, 42; tunica:Ex., xxviii, 4; balteus:Ex., xxxix, 38; mitra :Ex., xxxix, 26)。
Sacerdos の任務としては、次のものがあった。まず、公式の礼拝に関係する役割、毎日2回、香を捧げること(Ex., xxx, 7)、金の台にパンを供えること(Lev., xxiv, 9)、ランプの油を絶やさないこと (lev., xxiv, 1)、これらは聖所でなされた。神殿外の庭での仕事として、焼き尽くしのいけにえの聖なる火の管理(Lev., vi, 9 sqq.)や、朝夕の子羊のいけにえを捧げる務め (Ex., xxix, 38 sqq.)などもあった。その他にも、祝日にはラッパを鳴らしたり (Num., x, 1 sqq.)、らい病を煩っている人が清められたか汚れているかを宣言したり (Lev., xiii-xiv; Deut., xxiv, 8; cf. Matt., viii, 4)、誓いを免除したり (Lev., xxvii)などもした。
 さらにsacerdosは、教え裁いた。律法を人びとに無償で(Mich., iii, 11)教える(Lev., x, 11; Deut., xxxiii, 10)ばかりか、律法の書を大切に保存し、律法に従って民を裁かなければならなかった(Deut., xvii, 8; xix, 17; xxi, 5)。
 紀元70年のティトゥスによるエルサレムの神殿の破壊のために、ユダヤ教のいけにえとそれに関わる sacerdos の職務は、完全に消滅した。後世のユダヤ教のラビは、もはや司祭としてではなく律法の教師としてでしかなくなった。


狭義の意味でのレビ族
 真の意味での sacerdos は、アアロン家の子孫に限られるので、レビ族の子孫たちは sacerdos の僕、補佐となった。これが、狭義の意味でのレビ族である。Sacerdos の僕として、レビ族の人は聖所に入ることはもちろん、真のいけにえを捧げることも、血を注ぐことも(aspersio sanguinis)許されていなかった。これらは、sacerdos のみがすることのできる特権であった(Num., xviii, 3, 19 sqq.; xviii, 6)。


Summus sacerdos
 ヤーウェの命によって、モーセは自分の兄アアロンを archiereus, Summus sacerdos として聖別し、7日間の間この聖別を繰り返し、8日目に荘厳にアアロンを契約の櫃へと導いた。アアロンが祭司職の充満を受けた印としてモーセはアアロンの頭に聖なる油を注いだ(Lev., viii, 12)。アアロンの家系のその他の単なる祭司たちは手を聖別するだけであった (Ex., xxix, 7, 29)。
 大祭司は、ユダヤの民にとって神権政の最高の具現化であって、司祭職の長に立つ君主であり、天主と契約の民との間に立つ特別な仲介人、シナゴーグ(ユダヤ会堂)の霊的長上であった。祭司職の充満を戴いた大祭司こそ最高の意味で祭司であり、単なる祭司が着ける祭服以上のものを身に纏った (Ex., xxviii)。
 大祭司は契約の櫃(と後には神殿)、天主の礼拝の最高の監督であった。大祭司は衆議所の頭であり、彼だけが償いのいけにえを執行することが出来き、自分の罪と民の罪の償いのためのいけにえを捧げることが許されていた(Lev., iv, 5)。大祭司だけが至聖所 (sanctum sanctorum) に入ることを許されていた。
 大祭司の職務はアアロンの長男であったアレアザルの血統の長男に受け継がれていたが、ヘリからアビアタルまでの間 (1131 ~ 973 B.C.)は、長子権によりイタマルの血統によって受け継がれていた。紀元前175年頃から始まったセレウコ朝の支配下においては、大司祭職は競りによって金で売られた。後にはハスモン家がこの職務を継承した。エルサレムの神殿がローマによって崩壊すると、大司祭職も消滅した。


キリスト教の祭司職
 古代から、キリスト者は、使徒たちがキリストから特別に選ばれ、特別の権能を受けたことを認めていた。
 使徒たちは、いけにえと司祭職とは天主の計画によって結ばれていること、新約において、主の制定によって御聖体の可見的いけにえが与えられたこと、その教会に新しい可見的、外的司祭職があること、旧約の司祭職はこの新しい司祭職に変ったこと(ヘブライ7・12以下参照)、この司祭職は私たちの救い主によって制定されたこと、使徒とその後継者にこの司祭職によって、その御体と御血とを聖別し、ささげ、そして授ける権能と、罪を赦しあるいはつなぐ権能を与えたことを理解していた。教会の聖伝も常にそのように教えてきた。

 聖書の証言、使徒的伝統、教父たちの一致した意見は、言葉と外的しるしをもって行われる聖なる叙階によって恩恵が与えられること、叙階が其のそして厳密な意味で、聖なる教会の七つの秘跡の一つであることを私たちにおしえている。聖パウロは次のように言っている。「あなたに注意したい。私の按手によってあなたの内にある天主の恩恵を再び燃立たせなさい。天主は恐れの霊ではなく、力と愛と慎しみの霊を、私たちに与えたからである」(2ティモテオ1・6~7;1ティモテオ4・14参照)。

 司祭職にあげられた者はみな、自分のためばかりではなく、他の人々のためにもこの聖職を授けられた。「大司祭はすべて、人間の中から選ばれ、天主に関することについて人間のために任命されている」(ヘブレオ5-1)。人類は絶えず、司祭が必要であることを体験してきた。司祭とは、すなわち公に天主と人との間の仲介者として立てられた人々であり、この永遠の天主性との交わりを一生の仕事として、社会の名において、公の祈りと犠牲とを天主に捧げるために選ばれた人々である。

 新約では、カトリックの教えによれば、司教と司祭とだけが、唯一、司祭職を所有しているものであり、司教は司祭職の充満を持ち(summus sacerdos s. primi ordinis)、司祭は単なる司祭(simplex sacerdos s. secundi ordinis)である。助祭は、司祭の権能のない司祭の助手である。

 ピオ11世教皇は、次のように言っている。

 イエズス・キリストは、最後の晩餐の間に、新約の犠牲と司祭職を制定された。・・・その時から、使徒と司祭職におけるその後継者とは、このマラキアによって予め告げられた「けがれない捧げもの」(マラキア1-11)を、天に向かって奉拳し始めた。この捧げものによって、天主のみ名は、国々の間に大なるものとなり、それ以来、この犠牲は、世の終わりまで恒久的に、地上のあらゆる場所において、昼夜を分かたず継続して捧げられることとなった。これは、天主なる生贄の真の犠牲であって、単なる象徴ではない。ここには、罪によってみいつを傷つけられ給うた天主と人類を和睦させる、ある現実の効力がひそんでいる。「何故なら、この捧げものによって、なだめられ給うた聖主(みあるじ)は、痛悔の恩恵と賜物とを賜わり、それが、いかにかぎりないものであろうと、全ての罪と罪過とをゆるされる」(トレント公会議第22総会の2)からである。
 同じ公会議は、その理由を次のように述べている。「いけにえは同一であり、今司祭の聖役をとおして捧げ給うものは、かの時、十字架の上でご自分を捧げ給うた御者である。違うのは捧げ方だけである。」(同上)ここにおいて、筆舌につくせないカトリック司祭職の偉大さが、判然として来る。カトリック司祭は、イエズス・キリストの御体そのものに対して権能をもち、これを祭壇の上に奇跡的に現存させ、救い主キリストのみ名によって、天主の永遠のみいつに、限りなくみ心にかなうホスチアを捧げるのである。「ああ、何と驚くべきことよ!感嘆し、全く唖然たらざるを得ないことよ!」(金口聖ヨハネ『司祭職について』P.G.XLVⅢ.642)と金口聖ヨハネ司祭がいっているのも当然のことである。」


「私たちは祭壇を持っている」(ヘブライ13:10)
 旧約時代のイザヤの預言は、異邦の民(非ユダヤ人)が、メシアの王国に入ることを新しい教会の特徴として預言している。マラキの預言も、将来のメシアの王国で異邦の民が「汚れなき捧げもの」を日の昇るところから沈むところまで捧げられるようになることを預言している。そして、教会は、十字架のいけにえの再現であるミサ聖祭を旧約の預言の実現と理解してきた。
 私たちの主イエズス・キリストは聖金曜日に、十字架の祭壇で、死を通して、一度、聖父なる天主に自分をささげたが、主の司祭職は死によって消去られるべきではなかったので(ヘブライ7・24、27)、「渡される夜」(1コリント11・13)最後の晩さんにおいて、自分の愛する花嫁である教会に、(人間の本性が要求するとおりの)目に見えるいけにえを残すために、主は自らが「メルキセデクの位による永遠の司祭」(詩編109・4)として立てられていることを宣言して、自分の御体と御血とをパンとブドー酒の形色のもとに聖父なる天主に捧げ、その時主が新約の司祭として制定した使徒たちに、彼らが拝領するように与え、そして、同じ使徒たちと彼らの司祭職における後継者たちに「私の記念としてこれを行え」(ルカ22・19;1コリント11・24)というこの言葉で、それを捧げるように命じた。これはカトリック教会が常に理解し、教えてきたことである。

episcopus と presbyter
 ネラン師は「キリストの弟子は祭司でも長老でもない」というが、使徒聖ペトロと聖ヨハネは自分のことを「長老 presbyter」の一人である、と言っている。
 「イエズス・キリストの使徒ペトロより、・・・私はあなたたちの中の長老に勧める。私も彼らと同じ長老で・・・あなたたちに委ねられている天主の群れを牧せよ。」(1ペトロ1:1、5:1-2)
 「長老の私より」(2ヨハネ1、3ヨハネ1)

 新約聖書においては、episcopus と presbyter とはほとんど同義語として使われていた。そしてこれは紀元2世紀の中葉まで続いていた。以下、episcopus は「監督」、presbyter は「長老」として訳されている。
 「各教会に長老を立て」(使徒14:23)、「使徒たちと長老たち」(使徒15章) 「パウロは・・・教会の長老たちを呼んだ。彼らが集まってきたときパウロはこう言った。『聖霊は・・・教会を牧するために、あなたたちを教会の監督と定められた。』」(使徒20:17, 18)
 「パウロとティモテオは、フィリッピにいるキリスト・イエズスにおけるすべての聖徒ならびに監督と執事たちに手紙を送る。」(フィリッピ1:1)
 「監督はとがのない人で、一人きりの婦人の夫であり、・・・自分の家を良く治め、謹厳に子供を従わせる人でなければならない。」(1ティモテオ3:2,4)

 ティモテオに対して「長老たちの按手によってあなたの受けている特別な恵みを蔑ろにするな。」(1ティモテオ4:14)
 「私の按手によってあなたの受けた天主の特別な恵みを再び燃え上がらせるようにとすすめる。」(2ティモテオ1:6)

 「正しく支配する長老たちは、二重の誉れを受ける値打がある。」(1ティモテオ5:17) 「私があなたをクレタに残しておいたのは、・・・私が命じたとおり、すべての町に長老を立てさせるためであった。長老はとがのない人で、一人きりの婦人の夫で、不品行とか不従順とかの非難を受けない信者の子供のある人でなければならない。監督は天主の家令として、とがのない人で・・なければならない。」(ティト1:5-7)
 「病気の人がいるなら、その人は教会の長老たちを呼べ。彼らは主の聖名によって油を塗ってから祈りを唱える。そして信仰による祈りは病気の人を救う。」(ヤコボ5:14)

 ディダケーも、ヘルメスも、ローマのクレメンテも、イレネウスも「監督」と「長老」とをほとんど区別なく使っている。おそらく徐々に「監督」という言葉が「長老」よりも上にあるものとして使い分けされるようになったのだろう。聖パウロは「監督」であったティモテオに従属するものとして「長老たち」を記している。アンティオキアのイグナチウスは、2世紀初頭には、君主的「監督」と「長老たち」またその下に位置する「執事たち」を区別している。

 ラテン語世界ではもっとはっきりしていた。テルトゥリアヌス Tertullian (De bapt., xvii)は「監督」を「大祭司 "summus sacerdos"」と呼びその下に「長老たちと執事たち "presbyteri et diaconi"」を置いている。チプリアヌスは「監督と共に祭司職の名誉において一致している長老たち "presbyteri cum episcopo sacerdotali honore conjuncti"」(Ep. lxi, 3) について語っている。

 聖イエロニモは使徒行録を注解して「使徒たちは特に長老たちが監督たちと同じであると教えている」と言い祭司たち(sacerdos)と監督(episcopus)と長老(presbyter)とは同じである、とする。またティトへの書簡を注解して同じ事を言う。ただし「司教」だけが「司祭たち」を作る権能をもち、司祭たちにはないという
 "Quid enim facit--excepta ordinatione--episcopus quod presbyter non faciat?" (P.L., XXII, 1193)

 聖トマス・アクイナスもティモテオへの第1の書簡を注解して、聖イエロニモの意見を確認する。

 「長老と監督の言葉は混同しているが、それは祭司たち(sacerdotes)と長老たち(presbyteri)、つまり監督たち(episcopi)のことである、が按手によって受けられていたものであったからである」(c. IV, lect 3.)
 「Presbyterとは長老のことであるが、年長者が通常賢慮を持ったように、教会の統治を受けるものは賢明でなければならない。従って、教会の高位階級にあるものたちは、すなわち司教と司祭であるが、長老と呼ばれる。」

 つまり、教会は常に、監督も長老も、新約の sacerdos 「祭司」として理解してきたのである。つまり名前は異なるとはいえ、presbyter と sacerdos とは同じ現実を示している。そして私たちの祖先は sacerdos を普通「司祭」と訳してきた。


(3) 新約聖書では「長老」とエウカリスチアを結びつける箇所はどこにもない、という主張に対してはこう反論する。

 私たちの主イエズス・キリストは、渡される夜に、使徒たちと彼らの司祭職における後継者たちに「私の記念としてこれを行え」(ルカ22・19;1コリント11・24)というこの言葉で、使徒たちを新約の祭司とした。これは、イエズス・キリストが制定した7つの秘跡の一つであり、使徒たちはこの叙階の秘跡の充満を受けた。この叙階の秘跡の充満を受けたもののみが、他のキリスト者に叙階の秘跡を授けることが出来る。
 「長老」は、按手の儀式によって叙階の秘跡を受けたものであり、彼らは、新約の司祭職の制定の時からエウカリスチアと密接に関わっている。


(4) パウロのコリント人への手紙の中には、「晩餐を取りしきる者」という名称は出てこない、「主の晩餐」の「司式者」は、突然割り当てられた信徒の一人だったのだろう。だから、信徒は洗礼を受けた以上、エウカリスチアを執り行う権利を持っていたといえる、という主張には、こう反論する。

 コリント人への第1の手紙の11:17の「主の晩餐」は、聖体の秘跡のことではなく、アガペの集会の食事のことである。「ある研究家はこれを、パウロがちょうどなくしたいと考えていた悪習で、教会の集まりに際して、信者はイエズスが行ったような御聖体の式だけを繰り返すだけに限ると規定するつもりであったという。しかし、より多くの解釈者によれば、この食事はいわゆる「愛餐」で、厳密な意味での聖体拝領の前に行われ・・ていたという。この解釈に従えば、パウロはここで愛餐そのものをとがめるのではなく、それに付随するいろいろな悪習だけをなくしたいということになる。・・・そしてのちに、いろいろな悪習が絶えなかったために、廃止された。」(フェデリコ・バルバロ「コリント人への手紙注解」142ページ)
 「22節をそのままにとれば、キリスト者の最後の晩餐が普通の宴会と結びつけられたのは、後の悪習によるという説は、支持できないものでもない。」(同143ページ)

 キリスト者たちは全教会の実践として、叙階の秘跡において、洗礼と堅信におけると同様、消されることも、除去されることもない霊的印章が与えられること、叙階の秘跡を受けたものだけが聖体の秘跡を執行することが出来ること、を知っていた。これは聖霊のあたえる霊的たまもの「カリスマ」とは、別のものである。聖パウロが、「晩餐を取りしきるもの」について言及しなかったとしても、それが存在しなかったと言う意味ではない。実際パウロは「上司」を挙げている。これは「監督」「長老」のことを指していると考えられる。

 全てのキリスト信者が、区別なしに新約の司祭であるとか、全ての信者が同等の霊的権力を持つとか主張する者は、「戦闘に備える軍団」(雅歌6・3)とも言える教会の聖職位階を破壊する者である(第6条)。この意見はすべてが使徒、すべてが預言者、すべてが福音記者、すべてが牧者、すべてが学者であるかのように言うものであって(1コリント12・29;エフェソ4・11参照)、聖パウロの教えに反する。


(5) ヘブライ人への手紙は、キリスト以後には祭司は存在し得ないと教えており、教会の中にキリストの祭司職に与る祭司があるということは、この手紙からは引き出せないどころか、この手紙の教えの反対である、という意見に対してはこう言おう。

 「律法は実在の姿ではなく、将来の恵みの影である」(ヘブライ10:1)ので、旧約の下においては(使徒パウロの証言によれば)レビ族の司祭職の不能さに故に完全なものではなかった。従って、この終わりの日々には(ヘブライ1:2)、憐れみの聖父なる天主がそのように秩序付けた計画によって)「メルキセデクの位による」(創世記14・18;詩編109・4;ヘブライ7・11)別の司祭が立ちあがらなければならなかった。すなわち、私たちの主イエズス・キリストであって、聖化すべき全ての人々を完全なもの(ヘブライ10・14)にし、完成へと導くことができる方である。「こうしてその無用と無効のために前の(レビの祭司職に関する)規定は廃された。・・・他の司祭たちは誓い無しに立てられたがキリストについては「<あなたは永遠の司祭である>と主は誓って悔いない」といわれたお方の誓いがある。」(ヘブライ7:18、20-21)

 確かに、大司祭私たちの主イエズス・キリストの到来によって、旧約の祭司職は廃止された。それは完全な実体が到来したので不完全な影は姿を消さなければならないからである。 聖パウロはヘブライ人たちへの手紙の中で、新約の完成された最後の時代において、旧約の祭司職もその他のすべての諸宗教の「祭司」も、存在しない、全くの無効であることを教えている。そして、それと同時に私たちの主イエズス・キリストの超越的な完成された唯一の祭司職だけが存在することを教えている。キリストの教会の聖伝は、叙階を受けたものだけがこのキリストの祭司職に能動的に参与すること(そして洗礼を受けたものは、受動的に参与すること)を教えている。

 聖パウロが「律法は実在の姿ではなく、将来の恵みの影である」(ヘブライ10:1)と言うとき、律法の完成である目に見える教会の中に、キリストの祭司職に与る祭司たちが、旧約の司祭たちの影の実在としてあるということいささかも矛盾しないどころか、まさに存在しなければならないことを訴えている。全教会は2000年間そのように解釈してきた。それが一・聖・カトリック・使徒継承の教会にいる今の司教たちであり、司祭たちである。

 トリエント公会議はこう宣言している。

「新約においては、可見的、外的司祭職はないとか;主の真の御体と御血とを聖別し奉献する権能、罪を解きまたはつなぐ権能はなく;福音を説く職務と奉仕だけがあるとか、説教をしない者は司祭ではないとか言う者は排斥される(DzS1764、1767参照)。」(1771(961)1条)


(8) トリエント公会議は、ミサの犠牲と司祭の祭司職について教える。公会議はミサが十字架の犠牲を現在化(repraesentare)すると宣言し、エウカリスチアにおいてキリストが秘跡的に(sacramentaliter)臨在することを教える。

 トリエント公会議は、「エウカリスチアにおいてキリストが秘跡的に(sacramentaliter)臨在する」とは教えていない。この「秘跡的に」というのは、「しるし」または「象徴」あるいは「効力」においてという意味にすぎない。
 そうではなくトリエント公会議は「いとも聖なる御聖体の秘跡において、真に vere、現実 realiter に、そして実体的に substantialiter、私たちの主イエズス・キリストの御体と御血が御霊魂と御神性とともに、すなわちキリスト全部が含まれている」と教えている。

 「いとも聖なる御聖体の秘跡において、真に vere、現実 realiter に、そして実体的に substantialiter、私たちの主イエズス・キリストの御体と御血が御霊魂と御神性とともに、すなわちキリスト全部が含まれていることを否定し、この秘跡には、しるしまたは象徴あるいは効力においてのみある、と言う者は排斥される(DzS1636、1640参照)。」(1651(883)1条)


(9, 10) 公会議は信徒がミサを捧げることを禁じていない、ミサを挙げるのは、本来、選ばれた一人ではなく、信徒の集合全体である。ミサの司式者は、共同体に仕える奉仕者であり、キリスト教では聖なるものと俗なるものとの差別はない。すべてのものは「聖なるもの」であり、司祭も「同じ人間に過ぎない」、「これは私の体である」というキリストのことばを繰り返すものは、特殊な才能も技術もいらない。信者の誰でも出来るサービスである。キリスト教を述べ伝えるというのは司教団の固有の使命であり、ミサを挙げるというのは信徒の中の一人の務めである、という主張についてはこう言おう。

 信徒がミサを挙げることが出来るという主張は、正しく理解された叙階の秘跡の否定である。何故なら「主の真の御体と御血とを聖別し奉献する権能、罪を解きまたはつなぐ権能はない」ということであり、司祭とは「福音を説く職務と奉仕をするだけがある」ということに等しいからである。

 トリエント公会議をもう一度引用する。

 「新約においては、可見的、外的司祭職はないとか;主の真の御体と御血とを聖別し奉献する権能、罪を解きまたはつなぐ権能はなく;福音を説く職務と奉仕だけがあるとか、説教をしない者は司祭ではないとか言う者は排斥される(DzS1764、1767参照)。」(1771(961)1条)

 「叙階または聖職への叙階は、主キリストによって制定された真の固有の意味での秘跡ではない;または人間の発明によるもの、あるいは教会のことがらについて無知な人によって考えだされたもの;または、天主のことばと諸秘跡の奉仕者を選出する一種の儀式にすぎない、と言う者は排斥される(DzS1766参照)」(1773(963)3条)。

 従って、カトリック信仰は、叙階の秘跡を受けていないカトリック信者は、全実体変化を起こす力を与えられていないことを私たちに教えている。故に、信者の挙げる「ミサ」は全く無効であり、「ミサのまねごと」にすぎない。

 司祭叙階を受けておらず「ミサのまねごと」をする者は、カトリック教会法典(1917年)2322条では自動破門(excommunicatio ipso facto speciali modo Sedi Apostolicae reservata)、およびカトリック新教会法典(1983年)1378条§2の1によって、自動禁止(poena interdicti latae sentantiae)が科されている。


全世界の司教団が認定しても、
イエズス・キリストの定めた秘跡の実体を変えることは出来ない

 以上のように、神学上、信徒がミサを挙げることは全く不可能である。
 全世界の司教団が認定したとしても、天主イエズス・キリストが定めたことを変えることは出来ない。
 たしかに秘跡を執り行うのは司祭のみの特権ではない。未信徒も、正しい意向、質料、形相さえあれば、洗礼だけは、有効に授けることができる。しかし、すべての秘跡の執行者は同じではない。

 聖体の秘跡は、私たちの主イエズス・キリストの定めにより、正当な叙階の秘跡を受けた司祭のみが執り行うことが出来る。それ以外のものには、その権能がない。叙階の秘跡無しにそれが出来ると主張することは、天主の権能の横領であり、天主の地位を奪うことである。

 この「差別」は、天主の望まれたことである。それはちょうど女性だけが子供を産むことが出来ることを天主が望まれ、眼だけがものを見ること、耳だけがきくことが出来ることを、口だけが食べ話すことが出来ることを望まれたのと同じである。このことを認めようとしないものは、キリストの教会を破壊するものであり、天主に対する反抗者・敵である。


文責:トマス小野田圭志 (聖ピオ十世会司祭)




追記:「福音宣教」誌2003年6,7号を私が入手するために、労を取って下さった東京の信徒会長様に、ここで感謝の念を申し上げます。また、この文章を制作するために、次のサイトも参考にしたので、付記します。
外国語サイト リンク http://www.newadvent.org/cathen/12406a.htm
外国語サイト リンク http://www.newadvent.org/cathen/12409a.htm


トマス小野田圭志 (聖ピオ十世会司祭)