マニラのeそよ風

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第128号 2003/05/01 勤労者 聖ヨゼフの祝日


アヴェ・マリア!

兄弟の皆様、
 前号では、日本カトリック司教協議会監修、カトリック中央協議会発行の『カトリック教会の教え』(2003年4月)の第一部について触れましたが、私たちはさらに、第二章、「イエスの福音」を見てみましょう。そして、それをカトリック教会の聖伝の教えと比べてみましょう。

 まず第二章の導入部で、「キリスト教は・・・と教えます。しかしこのイエスは、わたしたちと同じこの世に生を受けた人間でもあります。」(64ページ)そこで、第二章では、「その人物像」を学び、第三章では「このイエスをメシア(キリスト)とする信仰」について考える、と言います。

 第一節ですぐに、「歴史のイエス」「信仰のキリスト」とを区別します。そして「後の教会のキリスト信仰」「史実」とを区別し、その違いを意識しながら「生前のイエス」を追求すべきであるというようなことを言います。「新約聖書もしばしばキリストと(ナザレの)イエスを区別して」(70ページ)いるそうです。

 こうして岩島師は「現実のイエス」と「実際には存在しなかった信仰上のキリスト」という2つの概念を提示しています。もちろん「歴史のイエス」とは、「特定の時間と特定の場所で生きたイエス」であり、他方は「信仰者の敬虔な観想の外では決して存在したことのないキリスト」です。

 ですから、まず岩島師は「イエス時代の背景」を宗教的、政治的、社会的に説明します。超自然的な要素を全て排除し、全く自然のレベルだけから考慮して、そのような環境の中で「教育・宗教の恩恵を与り」、「イエスの得た経験は、・・・彼の中で蓄積され、反芻されていったものと思われ・・・彼の後の説話から知られるこれらのことの大部分は、ナザレでの蓄積に発している」(70ページ)と言います。

 こうして「ユダヤ教とその社会の一員として、人間として、また信仰深いユダヤ人として育っていった」「歴史のイエス」は、ある時までは普通の人にすぎなかったのです。しかし「ナザレのイエス」は、「ヨハネとの接触を通して」、「ヨハネの洗礼運動」を契機として、「神の福音の使者となる生の転換期」を迎え、今まで気がつかなかったけれども初めて「神からご自分に課せられた一回限りの使命を自覚するに至った」(71ページ)そうです。

 岩島師は「イエス自身も一時ヨハネの弟子であった可能性も否定出来ません(!!)」(71ページ)とさえ言っています。

 これは、カトリック教会の教えでは全くありません!!

 岩島師は、私たちの主が洗礼を受けたときに起きたことを「史実」であるとは考えておられないようです。なぜなら「洗礼においては、天が裂け、天からの声が響き、神の霊が鳩のようにイエスに下ったとされています」と書いているからです。つまり、師は冷たい目で「とされています」と言い、「本当にそうなった」とは言おうとしないからです。

 岩島師はおそらく、この話は「後の教会のキリスト信仰」のために「変容を受け」「歪められ」て、そのようなお話が出来上がった、と言いたいのでしょう。つまり、岩島師によれば、その「寓話」の意味しようとすることは、字面通りのことではなく、「終末における神の働きかけが霊を通してイエスにおいて始まったと述べているのです。」(71ページ)

 こうして、岩島師は、私たちの主イエズス・キリストを全くただの人間としてのみ延々と説明します。このような説明を読むと、聖ピオ10世が書いた「パッシェンディ」(1907年9月8日)という近代主義の誤謬にする回勅を思い起こさずにはいられません。

 すこし、「パッシェンディ」を読んでみましょう。引用してみます。


歴史学者としての近代主義者

30. ある近代主義者たち・・・の歴史学および批判学には、彼らの哲学が浸透しており、また彼らの導き出す諸々の歴史批判的結論は、彼らの哲学的原理の当然の帰結なのです。・・・彼ら近代主義者の3つの主な法則は、すでに扱った彼らの3つの哲学的原理の中に含まれています。すなわちそれは、
 「不可知論」【五感に感ずることが出来ないことは、知り得ないという論】の原理
 「信仰による事物の変容」の定理、
 および「歪曲化」と称し得るもう一つ別の原理です。

 これらの原理のそれぞれから、どのような結果が生じてくるのかを見てみることにしましょう。

 不可知論によれば、歴史は科学と同様、まったく「現象」のみを扱い、その結果、天主、また人間的事柄に対する天主の一切の介入は、「信仰」のみに属するものとして、信仰に委ねられねばなりません。

 それゆえ、天主的ならびに人間的という二重の要素が結び合わさっている事物、たとえばキリスト、または教会、あるいは秘跡、ないしはそれに類したその他多くの事物においては、区別と分離が成されねばならず、人間的要素は「歴史」に委ねられ、他方、天主的な要素は「信仰」に割り当てられなければなりません。

 ここから、近代主義者たちの間で非常に広まっている、「歴史上のキリスト」と「信仰上のキリスト」との区別、歴史上の秘跡と信仰上の秘跡との区別、およびこれに類した事柄における同様の区別という、よく知られた区別が出てくるのです。

 第2に、私たちは、歴史学者が取り扱うべき文献の中に現れている限りでの人間的要素は、「信仰によって変容された」もの、つまり、本来の歴史的状況よりも高く上げられたものとして見なされるべきである、ということを了解します。

 このため、キリストを扱うに当たって、心理学が人間について述べることあるいは彼が生きた場所と時代から私たちが推測するところにしたがって、歴史学者は、自然的条件における人間[の域]を越え出る一切のことを除外しなければなりません。

 最後に、彼らは第3の(「歪曲化」の)原理に基づいて、歴史の領域に属する事柄さえもふるいにかけられ、彼らの判断に即して、事実の論理[的関係]に合わないことや、取り扱われている人物に似つかわしくないことは全て除外され、「信仰」に委ねられることを求めます。

 従って、彼ら近代主義者は、キリストが彼の話を聞く群衆の[知解]能力の範囲外のことを、たとえ一度であれ口にしたということを認めようとしないのです。このため、彼らはキリストの現実の歴史から、その説教中に見出される全ての寓話をのぞき去り、それらをことごとく「信仰」の手に委ねるのです。

 私たちは、いかなる原理に基づいて彼らがこういった区別を成すのか問うてみることができるでしょうか。彼らの返事は、自分たちは当の人物の人格、彼の生活状態、教育、諸々の事実が生じた状況の複雑な絡み合いに即して議論しているのだというものです。つまり要するに、―――もし私が彼らを正しく理解しているのであれば――― 主観的なものにすぎない原理に基づいて議論しているのです。

 このようにして、徹頭徹尾ア・プリオリに、また、それについて無知であると公言しながら、[実際は]支持している種々の哲学的原理に立脚し、彼らは自分たちがキリストについての現実の歴史と称するものに即してこう宣言します。

 すなわち、「キリストは天主ではなく、したがって天主的なことは一度として行わず、また人間として、その生活した時代から判断して彼が言い、また為したであろうと、彼らが見なすところのことのみを言い、行った」のだと。


■ 批判学者としての近代主義者

31.歴史がその種々の結論を哲学からとるように、同様に批判学も歴史から自らの諸結論をくみとります。批判学者は、歴史学者から供給されたデータに基づいて、自分の取り扱うあらゆる文書を2つの部分に分類します。

 先に述べた3重の除外をくぐり抜けて残ったものは「現実の歴史」を構成し、その他の部分は「信仰の歴史」ないしは「内的歴史」【信者の心の中にのみ存在する「歴史」という意味で「内的」なのです】と称されるものを構成します。

 近代主義者たちは、これら2種類の歴史をきわめて入念に区別するのですが、ここで注意すべきなのは、彼らが「信仰の歴史」を「現実の歴史」と対置させる際、後者をまさに、事実に即したものとして見なしている、という点です。【信仰上の歴史は、事実に基づかないということになるのです!】 こういうわけで、先述したように、「現実のキリスト」および「実際には存在しなかった信仰上のキリスト」からなる2つのキリストという概念が生まれるのです。

 一方は「特定の時間と特定の場所で生きたキリスト」であり、他方は「信仰者の敬虔な観想の外では決して存在したことのないキリスト」です。後者の例として、たとえば近代主義者によれば始めから終わりまで単なる観想でしかない聖ヨハネ福音書中に見出されるキリストがこれに当たります。


■ 近代主義者の批判学の原理

32.しかるに、歴史に対する哲学の支配はこれに止まりません。今述べた、種々の文書を2つの部分に分ける区別が成された後、哲学は再び「生命的内在」という自らの教義を従えて介入し、「いかに教会の歴史における一切の事物は、生命的発出によって説明されねばならないか」を示します。[彼らによれば]「あらゆる生命的発出の原因ないし条件は、何らかの『必要』ないし『欠乏』の中に見出されるべきものですから、したがっていかなる事実も、それをつくり出した『必要』に先行するものとは見なされ得ません。歴史的には、事実が『必要』より後になるのです。」

 それでは、歴史学者はこの原理を念頭に置いて、何をするのでしょうか。彼は研究の対象となっている文書を ―――それが聖書に含まれているものであろうと、あるいはその他の書物から取られたものであろうと――― 再度見直し、それらの文書から教会が殊更抱いている「必要」のリストを独自に作り上げます。ここで言う「必要」とは教義に関するもの、あるいは典礼、あるいはそれらの文書中で叙述されている当の教会において見出される他の事柄に関するもののことを指します。

 歴史学者は自分の作成したこの「必要」のリストを批判学者に託します。批判学者は「信仰上の歴史」を取り扱っている文書を手にとり、それらを時代ごとに分類し、そうして「必要」のリストと完全に対応するようにします。これは批判学者が「諸々の事実は『必要』にしたがって生じるのと同様、叙述もまた事実に引きつづいてなされるものである」という信条を常に自らの指導原理としているからです。

 [彼らによれば] 時として聖書中のある部分―――例えば[パウロの]書簡―――それ自体が、「必要」によって創り出された事実を構成している、ということが起こり得ます。しかし、たとえそうではあっても、いかなる文書の年代も、個々の「必要」が教会の中で表面化した年代によってのみ確定され得るという原則は依然として有効です。

 さらに、ある「事実の発端」および「発展」とを区別しなければなりません。ある日生まれたものが成長するには時間を要するからです。

 それゆえ「批判学者は、自らの取り扱う時代ごとに分類された文書をもう一度見直し、種々の事実の起源に関するものを、当の事実の発展を扱ったものから分離するという仕方でそれらを再び2つの部分に分け、そしてこれらを各々の時代ごとにもう一度分類しなければならない」のです。


■ 近代主義の歴史書に見られる混乱

33. そこで、再び哲学者が介入し、歴史学者に、彼のなす全ての研究において「進化の掟と法則」に従う義務を課します。これを受けて歴史学者は、もう一度自分の扱っている文書を吟味し、異なった時代において教会に影響を及ぼした状況および諸々の条件、教会が前面に出してきた保守の力、教会を刺激して進歩を遂げるよう駆り立ててきた教会内外の必要、教会が直面しなければならなかった障害、つまり、進化の法則が教会においてどのようなかたちで実現されてきたかを見定めるのに役立つ一切のことを入念に検証します。

 この作業をすませた後、歴史学者は自分の仕事の仕上げとして、[教会の]発展の歴史を概略的に描き出します。引き続いて、批判学者が当の文書の残りの部分を埋め合わせることになります。批判学者は歴史学者が記述していない箇所を埋めるべく筆を執り、こうして歴史が完成します。

 ここで私は尋ねます。誰がこの歴史の著者なのでしょうか。歴史学者でしょうか。それとも批判学者でしょうか。無論、このどちらでもなく哲学者です。この歴史中に記されてあることは、始めから終わりまで一切がア・プリオリであり、また異端の気味のある、体験に基づかない空理空論です。

 これらの人々は確かにあわれむべき者たちであり、使徒パウロの次の言葉は、まさに彼らによく当てはまるものと言えましょう。

 「彼らは自分の考えに傲り高ぶり...(中略)...自ら知者と称えて愚かな者となった。」(ローマ人への手紙 2章21節-22節)

 その一方で、彼らは教会が独自の流儀で自らに都合のいいように種々の文書を編纂し、かつ混交している、と非難して教会に対する反感をあおっています。このようにする際、彼らは自らの良心が直截(ちょくせつ)に自分たちを咎める、他でもないそのことについて教会を断罪しているのです。


■ 近代主義者による聖書の扱い方

34. [文書のかたちで残された]記録をこのように分断し、世紀ごとに分ける結果、[彼らによれば]「当然のごとく聖書の諸書典はもはやその名をもって呼ばれている著者の作とされることはできなくなってしまう」のです。

 近代主義者たちは、「一般的に言ってこれらの書―――とりわけモーセ五書ならびに3つの共観福音書―――が度重なる付け足しと神学的ないしは寓意的解釈、あるいは種々の異なる文章をつなぎ合わせるためにだけ書き加えられた箇所の挿入によって、原初の簡潔な叙述から徐々に形成されていった」と何のためらいもなしに断定します。「これははっきり簡潔に言うならば、聖書に含まれる諸書典の中に、私たちは信仰の進化から由来し、これに対応する生命的進化の存在を認めねばならない」ということです。

 彼らの述べるところによれば、「かかる進化の痕跡はあまりにも明瞭であり、およそこの進化の歴史を綴ることができる」くらいです。実際、彼らはそのような歴史をしたためるのであり、しかも、あまりに安易な確信をもってそれを著すため、ほとんど、いく時代にもわたって聖書の諸書の記述を水増ししていった著作者たちの仕事を、その目で見てきたかのように思われるほどです。

 このような見解を保持するに当たって、彼らはテキスト批判と彼ら自身が称する批判学の一分野を援用(=助けに使用)し、何らかの事実あるいは文章の一節が正しい本来の箇所にないということを、その他これに類した議論をもち出して実証するよう腐心します。実際、彼らは自らのために、あるものがその本来の場所にあるか否かについて彼らが確信をもって下す判定の基準となる、特殊な形態の叙述ないし論述を編み出したように見受けられます。

 しかるに、彼らは一体このような識別をする資格がどれほどあるでしょうか。聖書について行っている作業について彼らがとうとうと説くのを聞く人は、彼らがかくも多くの欠陥を見つけ出すことのできた聖書というものを、彼ら以前の誰一人としてひもといてみたことがなかったかのように感じられることでしょう。

 しかし、実際のところは、才知、学識、聖性において彼らをはるかに凌ぐ数多の教会博士たちのことごとくが聖書の各書をありとあらゆる仕方でふるいにかけた結果、その中に何か一つでも難ずべきことを見つけるどころか、それらを深く調べれば調べるほど、このようなかたちで人々に語りかけてくださった天主の慈愛に一層、心からの感謝を捧げたのです。

 残念ながら、これらの偉大な博士たちは、近代主義者たちが有している「研究の助力」なるものを持っていませんでした。天主の否定に根ざす哲学ならびにそれ自体で存立する [近代主義者たちの] 基準を、自らの規範ないし導きとして抱いていなかったからです。


■ カトリックの教えと矛盾する近代主義

 以上、近代主義者の歴史学的手法を充分明晰に示してきたことと信じます。哲学者が先頭を切り、歴史学者がそれに続き、そして、しかるべき順序にしたがって内的批判およびテキスト批判がその後を締めくくります。

 そして、第一原因は、諸々の二次的原因に自らの力をわかち与えることをその特徴とするため、ここで私が問題としている批判がただ無差別にどのような批判をするというわけではなく、正しくも不可知論的、内在論的、そして進化史観的と呼ばれている批判である、ということは明らかです。

 そのため、誰であれこれを採用し、適用する人はその中に含まれている誤謬をも奉じていることを公言することになり、自らをカトリックの教えに対立する立場に置くはめになります。このようなわけで、一部のカトリック者の間で、この近代主義がかくも広く受け容れられるに至ったということは、実に驚くべき事態です。

 この原因として2つのことが挙げられるでしょう。第一に、近代主義学派の歴史学者ならびに批判学者があらゆる国籍ないし宗教の壁を越えて互いの間で結ぶ緊密な同盟、第二には、彼らの限りを知らぬ厚顔無恥です。すなわち、彼らの中誰か一人が何か口に出して言えば、他の者は科学がさらに一歩前進したとこぞって賞賛の声を上げるのですが、他方、外部の者が当の新しい発見を自分で調べてみようと思うと、彼らはその人に対して共同戦線を張るのです。

 その新説を否定する人は無知な者としてこきおろされる一方、それを支持し擁護する人は彼らからの惜しみない賞賛をほしいままにします。このようにして彼らは少なからぬ者たちを陥れていますが、その同じ人たちがもし自分が何をしているかに気づいたならば、恐れをなして後込みするに違いありません。謬説を教える者たちの横柄で威圧的な態度は、彼らに賛同する、より浅はかな者たちの無思慮な追従を得て、いたるところに蔓延し、病毒の感染をもたらす腐敗しきった空気を生み出しています。
 ・・・


■ 真理の単純さ

 尊敬する兄弟たちよ、一つの、ただ一つの真理のみ存在すると信じ、また聖書が「聖霊の霊感を受けて書かれ、天主をその著者とする 」と信じる私たちは、このような教説は天主ご自身が便宜上の嘘をつかれた、と言うことに等しいと断言します。

 そして、聖アウグスチヌスと共に、こう述べるのです。「かくも崇高な権威において、ただ一つでも便宜上の嘘[の存在]を認めるならば、一見実践あるいは信じることが困難に見える命題の中で、その同じこの上なく有害な原則に基づいて、その書の著者が故意に、ある目的のためについた嘘であると説明しおおせない、ただ一つの文もなくなるでしょう。 」

 そして、このようにして、この聖なる博士が続けて述べているような事態が生じるのです。つまり、「誰もが自分の好む、好まないに応じて、これらの文章―――すなわち聖典―――に記されていることを信じ、あるいは信じるのを拒むようになる」のです。

 しかし、近代主義者たちは自分たちの定めた方向に邁進してゆきます。彼らはまた「ある特定の教理の証明として持ち出されるある種の議論、例えば預言に基づいた議論は、何らの理知的根拠も有していない」と認めます。しかるに、彼らはこれらさえ宣教のための術策であり、生命[の必要]によって正当化され得るものだとして擁護するのです。
 それのみならず、彼らは「キリストご自身さえもが天主の御国の到来の時期について明らかな間違いをおかされた」ということを認める、否、声を大にして主張するのです。そして彼らの言うには、これについて驚くにはあたりません。なぜなら、[彼らによれば]「キリストご自身も生命の法則に服されていた」のですから!

 こうなれば、教会の諸々の教義は一体どうなってしまうでしょうか。近代主義者たちに言わせれば、「これらの教義は甚だしい矛盾に満ちている。しかし、それに何の問題があるか。なぜなら、生命の論理がそれらを認め、受け容れているという事実はさておき、それらの教義は象徴的真理にそぐわぬものではないからだ。問題となっているのは無限なるものであり、しかるに無限なるものは無限に多様な側面をもっているのではないか」と。

 つまるところ、こうした諸説を主張し、弁護するために、彼らは、「無限なるものに対して捧げることのできる最も気高い礼賛は、互いに相矛盾する命題をこの存在に帰することである」、と憚(はばか)ることなく宣言するのです。

 しかし、もし彼らが矛盾さえも正当化するのなら、彼らが正当化するのを拒むようなものが、一体何かあるでしょうか。  ・・・


■ あらゆる異端の総合である近代主義

39. 尊敬する兄弟たちよ、ある人たちには、私がこのように近代主義の教条をあまりに長々と詳細に敷衍(ふえん)してきたと思われるかもしれません。しかし、自分たちの思想を理解していない、という彼ら近代主義者のおきまりの非難に答え、またさらに、彼らの体系がばらばらで互いに関連のない理論ではなく、かえっていわば密接に結びついた一つの全体であり、その中の一つを認めたならば、全てのを認めざるを得なくなるということを示すために、こうすることが必要だったのです。

 それゆえ、私はこの解説をいくぶん教育的な形式で行い、また近代主義者たちが導入した、ある種の耳慣れない用語をはばからずに用いざるを得ませんでした。さて、こうしてその体系全体に眼を注いだならば、私がこれをあらゆる異端を総合したものである、と断じたところで、誰一人驚く者はないでしょう。

 もし誰かが[カトリック]信仰に対して打ち出されてきた全ての誤謬を一つに集め、それらみなの樹液と実質とを一つにまとめようとしたとしても、近代主義者たちがしたよりも、首尾よくそれを成し遂げることはできないでしょう。

 否、彼ら近代主義者は、それよりももっとひどい結果を招こうとしているのです。なぜなら、先にほのめかしたように、彼らの体系は単にカトリック教の抹殺ではなく、宗教全体の抹殺を意味するものだからです。

 それゆえ唯理主義者たちは近代主義者に惜しみない賞賛を浴びせ、その上、彼らの中でもとりわけ率直でうそ偽りのない者たちは、近代主義者たちを、あらゆる盟友の中でももっとも価値のある盟友として得た、と言って喜んでいるほどです。
 ・・・

 近代主義がいかに多くの道筋を通して無神論ならびに一切の宗教の抹殺へと導くかが、充分すぎるほど明らかに示されたでしょう。プロテスタント主義は、この道の第一歩を踏み出し、近代主義が二歩目を印し、無神論がさらにもう一歩、歩を進めるのです。


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(この項は続きます)

 また、聖ピオ十世会の日本語ホームページでは、聖ピオ10世教皇の回勅「パッシェンディ」がアップされています。ご参考までにどうぞ!
日本語サイト リンク http://fsspxjapan.fc2web.com/

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志 (聖ピオ十世会司祭)