マニラのeそよ風

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第109号 2003/04/04

ラファエロ作


アヴェ・マリア!

 兄弟の皆様、四旬節の黙想として聖アルフォンソ・デ・リグオリによる「死に臨む世間主義の人について」をどうぞ。

トマス小野田圭志 (聖ピオ十世会司祭)



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死に臨む世間主義の人について


 その1

 死ななければならぬ。遅かれ早かれ人は必ず死ななければならぬ。一代ごとに家にも里にも、故人は墓に降って、新顔の人が立ち顕われる。

 我らはみな首に縄をかけて、即ち死の宣告を受けて生まれる。どんなに長生きをしても、最後の一日は必ず来る。その一日のうちに、最後の一時間は必ずやってくる。そしてこの日も、この時も、きちんと決まっているのである。

 主よ、今日まで堪えがたきを堪えて私を処罰し給わなかったのは感謝に堪えない所である。私は罪を犯さない前に死んでいたならば、どんなに幸福であったことだろう。幸に過ちを償うべく時間をお与えくださるから、なにとぞ思し召しのところを命じ給え。何事によらず直ちに従い奉るであろう。

 今これを書いている私も、読んでいるあなたも、ニ・三年を経ずしてこの世の人ではないかもしれぬ。今私が人の死を報ずる弔いの鐘の音を耳にするが如く、人もまた私のために打ち鳴らされるその鐘の音に胸を驚かせるのだ。死亡帳に故人の名を今読むが如く、いつかは私の名も読まれるのだ。要するに死は決して免れ得るものではない。ただ怖ろしいのは、死が一度きりで、一度仕損じたら取り返しのつかないものであることだ。

 今誰かが来て、「早く秘蹟をお受けなさい。一刻の猶予もあれませんよ」と告げられたらどんなにビックリするであろうか。さっそく親兄弟も友人も私の部屋を出て、ただ司祭一人が枕元に座るであろう。

 主よ、私は死ぬときを待たず、今日から身も心も残らず主に捧げ奉る。主は「尋ねよ、さらば見出さん」(マテオ7-7)とおっしゃって、自分から進んで主を尋ね奉る人には決してこれを退けないことをお約束くださった。今私は真心より主を尋ね奉る。何とぞ私を退け給わず、御憐れみを垂れて、主を見い出さしめ給え。ああ限りなき善なる主よ、私は主を愛し奉る。主の他に何一つとして望むところはない。

 色々と世間の企てに頭を悩ましている真っ最中に、図らずも重い病に取り付かれ、「もう危篤です!早く最後のお支度を!!」と言われたら、どんな気持ちがするであろうか。にわかにうろたえまくって、取り乱したその魂を整えようと焦るであろう。しかし時は迫ってくるし、心は麻の如く乱れ立つし、ただもう慌てふためくばかりで、何一つやりおおせることができるものではあるまい。

 その時になったら、見るもの聞くもの一つとして悶え・怖れの種にならないものはないであろう。今の今まで見せびらかしてきた栄華までが、茨の棘となってその心を苦しめないだろうか?その酔っ払ってきた楽しみも棘、その成功した事業も棘、その人が高ぶってきた誉れも、己を主から遠ざからせた友達も、その派手やかな衣服も、何から何まで怖ろしい棘となってその心を散々に掻き破るであろう。

 「私は間も無くこの世を去るのだ。どちらの永遠に片付くのだろう?幸いの永遠か?もしかして禍の永遠ではあるまいか?」と思ったら、どんなにか味気ない感じがするであろうか・・・かねて主を忘れ、魂を忘れて、ひたすら浮世の欲に愛着してきたのだから、ただ審判・地獄・永遠の名を思っただけでも背中がゾクゾクする感じがするのである。

 ああイエズスよ、主は私の為にかたじけなくも死に給うたから、私は信頼して御血の功徳に寄りすがり奉る。ああ限りなき善なる主よ、私は主を愛し奉る。主に背き奉ったのを何よりも悔やみ悲しみ奉る。ああ私の信頼、私の愛にてましますイエズスよ、私を憐れみ給え。

 見よ、世間主義の人が重い病に悩み、もはや死に瀕しているその憐れな有様を。先ほどまで大手を振って人中を練り歩き、人を侮り、罵り、誰彼と無く悪口・暴言を投げつけ、傍迷惑な振る舞いをしていたのだが、今はただ弱り果て、力なく、身動きさえ自由にできず、口語らず、目見えず、耳聴かずになってきた。


 その2

 可愛そうに、彼の平素の企ても、その栄華も、今や胸中に浮かびようもない。ただ主の審判の恐ろしい幻影が、何時とはなしに眼前に迫り来て、身の置き所も知らないぐらいである。傍らには親兄弟が並んでいる。泣く者もあれば溜息をつく者もあり、うつむいて黙っている者もある。司祭は枕元に寄り添い、医者は幾人も立ち会って小首を傾けている。どこを見ても怖れの種ばかりである。事ここに至っては、流石の彼も笑いふざけて楽しもうなどとは思いもよらない。ただ右を向いても左を向いても自分の病が到底治る見込みがないと告げる悲しいしるしに心を砕くばかりである。

 もう致し方ない。この混雑の中に、この苦しみ悶え、恐れの中にこの世を立つ準備をせねばならぬ。時は迫り心は乱れる。これでどうやって怖しい死に出の旅路の準備ができようか。でも逃れる道はない。どうせ出発せねばならぬ。今更如何ともしようがないのである。

 ああ救世主よ、私の終焉はどうなるのであろうか。私はこのような怖しい最後は遂げたくない。早く行いを改め、志を立て直し、主を一心に愛して、心やすやすとこの世を後にしたいものである。愛すべきイエズスよ、私を助け、力の限り主を愛させ給え。強い、強い愛の綱をもって私を主に堅く結びつけ、永遠に離れることがないようにしてください。

ああ罪人の拠り所なる聖母よ、私の為に祈り給え。アーメン。



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