マニラのeそよ風

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第30号 2002/08/13

アヴェ・マリア!

■ 質問です

 聖トマスは人類の救いはそれほど多くはないと考えていたと書いてくださいました。私には新知識です。スンマのどことか、出典個所をお教えいただければ大変有り難いです。


■ お答えします

 ご質問感謝します。

 たとえば、神学大全の第1部の23問の7項には「救霊を予定されたものの数は定かであるか」という質問に対する異論3に、このようなことが書いてあります。

 天主のみ業は自然の業よりも、より完全である。
 ところで、自然の業においては、より多くのものにおいて善が見いだされ、より少ないものにおいて悪が見いだされる。
 ところで、もしも天主によって救われるべきものの数が定められたとしたら、滅びるものよりも救われるものの方がより多くあるはずである。
 しかし、これはマテオの7章13-14の、生命へと至る門は狭く、道は細い、そしてそれを見いだすものは少ない、という言葉に反対する。
 したがって、救われるべきものたちの数は天主によってあらかじめ秩序づけられていない。

 この異論への回答には、こうあります。

 自然の共通的に身分に相応しい善は、より多くに起こり、この善を欠くものはより少ない。しかし、自然の共通的に身分を遙かに超える善は、より少ないものに見いだされる。
 したがって、永遠の至福直感は、天主を見ることにあるが、自然の共通的に身分を遙かに超える善であり、特に原罪の腐敗によって失われた無償の恵みであるかぎりにおいて、救われるものはより少ない。Pauciores sunt qui salvantur.
 そして、自然の共通の道のりと傾向とに従って多くが欠く、かの救いに、天主が幾人かを選ばれることに天主の憐れみが最高に現れる。


 大変お待たせしましたが、これで回答になっていることを祈ります。救われる人の数については、多くの教父たちは悲観的であるようですね。聖トマスも天使については大部分が救われたとする傍ら、人間については少数が救われるとしています。私たちに出来ることは、そのような教えをただそのまま伝えることだけです。私たちは、人々の救いが自分の空想の通りになったら本当によいと思います。でも現実はもっと厳しいようです。天主だけがご存じのことですが。

 多くの人の救いのために私たちの主イエズス・キリストに祈りましょう。

ああイエズスよ、我らの罪を赦し給え
我らを地獄の火より守り給え
また、全ての霊魂、ことに主の御憐れみを
最も必要とする霊魂を天国に導き給え。


 天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志 (聖ピオ十世会司祭)