マニラのeそよ風

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第17号 2002/07/10  7人の聖なる兄弟殉教者の祝日


アヴェ・マリア!

 もう1年ほど前の話になりましたが、現ブッシュ大統領が就任された時、ライト師Reverend Wrightという方が上院でこんな祈りをしたそうです。

天の聖父よ、私たちはこの日、御身の御前に近づき御身の赦しと識別を乞い求めます。
私たちは聖書のこの句を知っております。
「悪を善と呼ぶものは呪われよ!」と。
それを私たちはしてしまいました。
私たちは価値評価を全てひっくり返しました。それを告白致します。

私たちは御身の福音の絶対の真理をあざ笑い、私たちはそれを「多元主義」と呼びました。
私たちは他の神々を拝み、それを「開かれた文化」と呼びました。
私たちは道徳の退廃を承認し、それを「生活様式の違い」と呼びました。
私たちは貧しい人々を搾取し、それを「運命」と呼びました。
私たちは怠慢を奨励し、それを「福祉」と呼びました。
私たちは母の胎内にいる胎児を殺し、それを「選択」と呼びました。
私たちは子供たちの教育を怠り、それを「自律的養成」と呼びました。
私たちは権力を乱用し、それを「政治」と呼びました。
私たちは隣人の持ち物を望み、それを「正当な大志」と呼びました。
私たちはポルノを野ばらしに至る所に広め、それを「表現の自由」と呼びました。
私たちは先祖の持っていた価値観と原理をあざ笑い、それを「現代的」と呼びました。
天主よ、私たちの心を探り給え。御身だけが本当に価値のあることが何であるかを知っておられます。
私たちの全ての罪を赦し、それから解放し給え。
私たちは御身の聖子、私たちの主イエズス・キリストの聖名によって御身に願います。アーメン。

(トマス小野田圭志訳)




第2バチカン公会議について


 第二バチカン公会議は司牧的公会議であって、それ以上でもそれ以下の存在でもありませんでした。この公会議はトリエント公会議と異なり、教会の教義を明確にさせたり、教会の規律を改善させるために開かれたものではありませんでした。では、第2バチカン公会議とは何だったのでしょうか?

 第2バチカン公会議という木を判断するために、その実りを判断してみなければなりません。

 さて、教会の歴史の中にはいろいろな危機の時代がありました。アリウス派の危機、プロテスタントによる危機など。しかし第2バチカン公会議後に生じた「教会の危機」というのは、始まって以来のことです。そして、今教会に危機が存在していると言うことは、多かれ少なかれ良心的な人々は気がついています。

 今カトリック教会は全て順調にいっている、などという方がいらしたら、自分を騙していらっしゃるとしか考えられません。この危機についてはパウロ6世教皇様もヨハネ・パウロ2世教皇様も語り、ラッチンガー枢機卿も語っています。しかし、この危機の原因を指摘することにおいては、皆が一致しているとは言えないようです。

 第2バチカン公会議は良いものであったがその適応が悪かった、とか、第2バチカン公会議はトリエント公会議、第一バチカン公会議の延長線にあるのだが、第2バチカン公会議以前は間違っていたと誤解する革命的な人々のために危機が生じた、教会外の世俗主義、物質主義のために危機が生じている、と言う人もいます。

 確かに、この危機には教会の外部のリベラルな考え方や外部の世俗主義が絡んでいるかも知れません。しかし、第2バチカン公会議はそれらに対して何か防御を張ろうとしたでしょうか? 第2バチカン公会議は、この世の世俗主義と快楽主義に対してどのような断罪を投げつけたでしょうか?

 何もしませんでした。

 むしろ、第2バチカン公会議はこの世の方へと教会を押しやったのです。


 ルフェーブル大司教はこんなたとえを使っています。

 オランダの国家元首は、大きな津波が絶えず国土を襲ってくるので津波のショックを避けるために、ある日、防波堤を取り除こうと決心しました。そのためオランダ中が洪水で水浸しになり、その後に政府は「私たちは何もするすべがありませんでした。津波が襲ったのですから。」といって弁解をしました。

 第2バチカン公会議はそれと全く同じことをしました。

 第2バチカン公会議は「この世に開かれた」教会を作るために、信教の自由、現代世界憲章という公会議の精神そのものによって(公会議の反精神ではなく)、世俗精神に対する伝統的な全ての防御を取り払ってしまったのです。

 教会の中が世俗の精神で満ちあふれ、それの洪水に苦しんでいるとしたら、それは、第2バチカン公会議が、それが入るようにしたからです。

 確かに、「公会議の反精神」は存在しています。ハンス・キュンクや解放の神学のボフなど。彼らは本当に革命的でした。しかし、公会議の本当の精神と「公会議の反精神」との間には、程度の差こそあれ、同じリベラルな考え方と言わなければならないと思います。つまり「公会議の反精神」は第2バチカン公会議の真の精神から生じたものだと言わなければならいと思います。なぜなら、両者は「この世に開かれた」という同じ原理を持っているからです。公会議の精神そのものは、多元主義のリベラルな精神だからです。

 さらに、第2バチカン公会議後のほとんどの改革は、第2バチカン公会議を開催したパウロ6世が執行したことであるので、第2バチカン公会議とその実りである「第2バチカン公会議後の改革」との間に対立がどうしてあり得たでしょうか?

 ですから、「公会議後の改革」は、第2バチカン公会議の結果であって、「教会内の革命」の原理は既に第2バチカン公会議の中にあったと言わなければなりません。


 たしかに、いくつかの点では公会議後の改革は第2バチカン公会議の予想以外のものでした。

 例えば、典礼におけるラテン語の廃止です。

 第2バチカン公会議は各国語を使うこともできる、と言っただけでした。

 しかし、改革を行おうとするものは、少しの扉が開けばそこからなだれ込むだけでした。
 ミサと秘蹟が変わっただけではなく、修道会も神学校も司教団も、さらには教会と国家との関係も全て変えられました。

 もし第2バチカン公会議が教義宣言のための公会議であって自称「司牧的公会議」ではなかったとしたら、どれほど簡単に、どうにでもとれる言葉遣いとか、異端的な方針を避けることが出来たでしょうか!
 本当に「第2バチカン公会議はトリエント公会議、第一バチカン公会議の延長線にある」のでしょうか?


 ピオ9世教皇は、回勅 Quanta Cura の中で、次の命題を誤りとして排斥しています。
(つまり、以下の命題は、誤謬であり受け入れることが出来ない、と言うことです。)

A 「全ての人は、良心と信教の自由に対する固有の権利がある」
B 「社会の最高の条件は、公共の安寧が求めない限り、政府はカトリックの宗教を冒涜するものを妨げる義務を認めないことである。」
C 「良心と信教の自由は、全ての正しく制定された社会において認められ、法制度化されるべきである。」

 ところで、第2バチカン公会議は「信教の自由に関する宣言」の中でこう言っています。

A’ 「このバチカン教会会議は、“人間が信教の自由に対して権利を持つこと” を宣言する。」
B’ 「この自由は、... 宗教問題においても、何人も、自分の確信に反して行動するように強制されることなく、また私的にあるいは公的に、単独にあるいは団体の一員として、正しい範囲内で自分の確信に従って行動するのを妨げられないところにある。...」
C’ 「信教の自由に対する人格のこの権利は、社会の法的制度において、市民的権利として受け入れられるべきものである。」

 A=A’、B=B’、C=C’と言えるではないでしょうか。

 つまり、第2バチカン公会議はピオ9世によって既に排斥されているのです。
 後に枢機卿となったコンガールは「信教の自由に関する宣言」はピオ9世の「シラブス」の反対であると告白しています。


 ピオ11世教皇の回勅「クワス・プリマス」を見て下さい。

 私たちの主イエズス・キリストが世俗の社会の王であることはカトリックの教義の一つなのです。これを否むことは異端なのです。

 ルフェーブル大司教は1976年3月31日にベルン(スイス)で、教皇大使であったモンシニョール・マルキオーニとこのような会話をしました。


ルフェーブル大司教: 「第2バチカン公会議の中には危険なものがたくさんあることが分かると思います。・・・信教の自由についての宣言には、歴代の教皇様たちが教えてきたことと正反対があります。カトリック国家はもやはあり得ないとされています!」

教皇大使: 「勿論ですよ。」

ルフェーブル大司教: 「カトリック国家の廃止とか、そんなことをしたら教会の利益になると思いますか?」

教皇大使: 「ああ、でも分かりますか、カトリック国家を廃止したらソビエトでもっと大きな信教の自由が得られるでしょう。」

ルフェーブル大司教: 「でも私たちの主イエズス・キリストの社会統治はどうなるのですか?」

教皇大使: 「そんなのは今では不可能です。遠い未来にはどうなるか分かりませんがね。今の時代はイエズス・キリストの統治は個人的なものです。

ルフェーブル大司教: 「では回勅「クワス・プリマス」はどうなってしまうのですか?」

教皇大使: 「ああ、今では教皇様はそんなことは書きませんよ。」

ルフェーブル大司教: 「ご存じの通り、コロンビアには聖座が国家のキリスト教的憲法を廃止するように要求しました。」

教皇大使: 「はい、そうです。ここでもそうです。」

ルフェーブル大司教:「ヴァレー州ですか?」

教皇大使: 「はい、ヴァレー州です。今ではいいですか、そのために、私はいろいろなミーティングに参加しなければなりません。」

ルフェーブル大司教: 「それではあなたはアダム司教様が書いた手紙に賛成するのですか?その中で、アダム司教様は司教区民たちに政教分離に賛成の投票をしなければならないと説得しているのです。」

教皇大使: 「私たちの主イエズス・キリストの社会統治は今では難しいのですよ。」


 これが、第2バチカン公会議のリベラリズムの原理です。

 この原理の結果はどのようなものがあるでしょうか? 例えば、第2バチカン公会議後の実りとして、改革の中にはこんなものがあります。これは公会議の真の精神をよく現しています。


聖庁の廃止

 ルフェーブル大司教は聖庁で長く働いておられたブラウン枢機卿にこう質問をしたことがあります。

ルフェーブル大司教: 「聖庁(Holy Office, Sanctum Officium)が教義聖省と名称を変えたことは、ただ名前が変わっただけの本質とは関係のない表面的なことなのでしょうか?それとも本質的な抜本的な変化だったのでしょうか?」

ブラウン枢機卿: 「本質的な変化です。全く明らかです。」


 実際に、信仰の法廷は「神学探究所」に変わりました。

 例えば、「解放の神学」についてこの「神学」とその誤謬を明確に排斥するどころか、むしろ奨励する結果を生んでしまいました。何故なら、信仰の法廷であるべきものが「神学研究所」に変わったからです。

 カトリック教会は真理を持っているのではなく、「共に探しているところである」という態度に変わったからです。

 ですから、第2バチカン公会議後のローマは、誤謬を排斥しないのです。異端を異端だと言わなくなったのです。ただ、1年ほど沈黙を守るように、そして「この教えはカトリックの教壇で教えられるには相応しくない」と言われるだけです。

 ですから、誤謬がカトリック教会内に自由に宣伝され、教えられるようになってしまっているのです。

 私たちの主イエズス・キリストの羊たちは、自分を守るすべがないのです。


聖座の親共産主義の政策

 Ostpolitik と言われている東欧に手をさしのべる「親共産主義政策」は、確かに第2バチカン公会議に始まったものではありませんでした。残念なことにピオ11世やピオ12世教皇様の時代から教皇様の知ってか知らないうちに、接触が確立していました。この共産主義との関係は悲惨な結果をもたらしていましたが、被害は幸いなことに食い止められました。

 しかし第2バチカン公会議後、本当の意味で協定が結ばれてしまいました。ロシアは第2バチカン公会議の際、教会が共産主義に関して沈黙を守ることを勝ち取りました。第2バチカン公会議後、ヘルシンキ協定はバチカンの保護の下で結ばれ、カザロリ枢機卿が開会と閉会の演説をしています。

 バチカンはその後、反共的な政府に敵意を示しました。1970年から72年にかけてチリでアレンデ共産革命を支持したのはバチカンでした。バチカンは親共産主義者を枢機卿や教皇大使として各国に任命しました。スペインには、タランコンを、ポルトガルにはリベイロを、アルジェンチンにはアランブルを、チリにはシルバ・エンリケを任命しました。

 カトリック国家にとってこのような枢機卿、大司教、総大司教は非常に大きな影響力がありました。カトリック諸国の司教団は、彼らの影響を受けて親共産主義的な革命的な司教を任命していくようになりました。

 カトリック政府は、政府に反対する司教団たちに対して何が出来たでしょうか? カトリック諸国において、教会は革命の主要な勢力となってしまったのです!


イタリアとの新しい政教協定

 第2バチカン公会議の原理を推し進める聖座のリベラルな政策は、まだ存在していたカトリック国家を廃止することでした。バチカンは、カトリック国家に、カトリックを国家宗教とすることを止めるように要請し圧力をかけたのです!

 12年間の議論の末、イタリア大統領は「第2バチカン公会議の結論と調和させるために」イタリア憲法の第1条にある、カトリックの宗教をイタリアの国家の宗教とするという条項を廃止することを宣言しました。

 従って、結婚の法的規定も、学校における宗教教育も大変化を受けました。

 第2バチカン公会議のリベラリズムはカトリック教会を墓場へと追いやっています。共産主義者からの迫害やフリーメーソンからの迫害によってではなく、リベラル派の自称「カトリック」によって、カトリック社会とカトリック国家、また教会は死にかけているのです。

 このことを共産主義者はよく知っています。リチュアニアのある博物館には無神論のプロパガンダのためのセクションがあります。そこにはイタリア大統領とカザロリ枢機卿とが新しい政教条約にサインをしている写真が大きく掲げられており、こう説明書きがあります。
 「イタリアとバチカンとの新しい政教条約:無神論の大勝利」と。


 私たちは、第2バチカン公会議をもう一度、客観的に冷静に見直す必要があると思います。そうする時、第2バチカン公会議は良かったが、その適応が悪かったとは、言えなくなるはずです。

 天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志 (聖ピオ十世会司祭)